世界最高峰のメジャーリーグで長年活躍し、日本を代表する投手として知られるダルビッシュ有さん。多彩な変化球と卓越した投球技術で数々の記録を残してきましたが、その競技人生には、筋力トレーニング、食生活、サプリメント、睡眠、ストレッチなど、自分自身の身体を研究し続けてきた長い歴史があります。
20代には体重を約100kgまで増やす肉体改造に挑戦。クリスマスイブにも高重量の筋力トレーニングに取り組み、食事や栄養の取り方についても積極的に学んできました。
メジャーリーグへ渡ってからは、登板前日の炭水化物の摂り方を考え、試合後には牛しゃぶや白米など日本食を楽しむ生活も紹介しています。2024年には、腸内環境を意識して白米、みそ汁、納豆、温泉卵、鶏の胸肉、サラダなどを自炊していることを本人が明かしました。
さらに興味深いのは、年齢とともに身体づくりの方法を変化させてきたことです。30代後半にはストレッチにかける時間が以前の約30分から約90分になり、骨格や股関節の動き、マウンドの傾斜を生かした投球フォームも研究。39歳のシーズンには腕の角度を大きく変える挑戦も行いました。
2026年8月に40歳を迎えた現在は、右肘の手術後のリハビリに取り組んでいます。元レスリング世界女王の妻・山本聖子さんとの家庭生活、7人の子供たちへの思い、WBCでの後輩選手との交流など、グラウンドの外にも魅力的なエピソードが数多くあります。
今回は、本人の公式ブログやインタビュー、MLB公式情報、家族の発信などをもとに、ダルビッシュ有さんの美容・健康への考え方、筋トレ、食生活、サプリメント、睡眠、ストレッチ、リハビリ、そして家族との暮らしまで詳しく紹介します。
1.ダルビッシュ有の経歴と健康観|20歳で始まった身体づくりへの探究心
ダルビッシュ有さんは1986年8月16日、大阪府羽曳野市で生まれました。イラン出身の父親と日本人の母親のもとで育ち、少年時代から野球に親しんできました。
中学卒業後は宮城県の東北高校へ進学。甲子園で全国的に注目される投手となり、2004年のドラフトでは北海道日本ハムファイターズから1巡目指名を受けました。2005年にプロデビューし、2006年にはチームの日本一に貢献。翌2007年には沢村賞を受賞しています。
2012年からはメジャーリーグへ挑戦し、テキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス、サンディエゴ・パドレスでプレー。2020年にはナショナル・リーグ最多勝を獲得し、2024年には日米通算200勝を達成しました。
日本代表としても、2009年と2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一を経験しています。長年にわたり日本とアメリカの第一線で活躍してきた投手です。
プロ2年目の悔しさがコンディショニングを学ぶきっかけに
ダルビッシュさんが栄養やコンディショニングについて本格的に学び始めたのは、プロ2年目の20歳頃でした。
2024年3月、高木豊さんのYouTubeチャンネルに出演した際、本人は当時の苦い経験を振り返っています。
ヤクルト戦に登板したとき、味方打線が大量点を取ってくれたにもかかわらず、5回を投げ切る前に降板したことがありました。肩にも痛みを感じ、ドラフト1位で入団したものの、期待されたような投球ができていないことに危機感を抱いたそうです。
当時は練習にもそれほど積極的ではなかったと率直に振り返っています。しかし、そのまま終わりたくないという思いから、自分自身を変える方法を探し始めました。
そこで関心を持ったのが、サプリメントや食事、身体のコンディション管理でした。
何を食べたのか、どのような練習をしたのか、その後の身体にどんな変化があったのか。そうしたことを自分で確かめながら、少しずつ知識を増やしていったのです。
本人はこの取材で、コンディショニングについて考えること自体が好きになったと説明しています。調子が良かった日にも、思いどおりに動けなかった日にも、その理由を探すことに面白さを感じているそうです。
若い頃の悔しさが、長年続く身体づくりへの探究心につながったという点は、ダルビッシュさんの健康観を理解するうえで欠かせない背景でしょう。
2025年3月のMLB公式インタビューでは、食事、睡眠、その日に身体が必要としているトレーニングを重視していると語っています。20代から続けてきた取り組みですが、年齢を重ねるにつれて、以前よりも細かな部分まで考えるようになったそうです。
当時のパドレス監督マイク・シルト氏も、ダルビッシュさんがほかの選手より早くグラウンドへ出て練習する姿を紹介しました。若い頃から築いてきた準備の習慣が、長いキャリアの土台になっているという見方を示しています。
投手としての技術を磨きながら、食事、栄養、トレーニング、休息について自ら学ぶことも楽しんできたダルビッシュさん。その探究心は、後に多くの後輩選手へと伝わっていきます。
豆知識①|2013年の登板で自ら栄養管理を振り返った
2013年8月の試合では、登板中に脚がつるアクシデントがありました。ダルビッシュさんは試合後、普段より長く眠ったことと食事量の関係を振り返り、自身の栄養管理について反省を語っています。思いどおりにならなかった日も次の準備に生かそうとする姿勢が伝わる出来事です。
2.筋トレと肉体改造|100kgへの増量から身体の構造を生かす投球へ
20代に取り組んだ本格的な肉体改造
ダルビッシュさんの筋力トレーニングを語るうえで欠かせないのが、北海道日本ハム時代の本格的な肉体改造です。
2010年のシーズン終了後から、ウエイトトレーニング、ジョギング、エアロバイクなどを継続し、翌2011年に向けて身体づくりを進めていました。
2011年1月の公式ブログでは、体重が約100kgになっていたことを紹介しています。
本人が重視していたのは体重という数字に加え、その身体をどれほど俊敏に動かせるか、自分の思いどおりにコントロールできるかという点でした。
増量期には食事回数を増やし、1日に4〜5食を摂る生活を送った時期もありました。必要な食事量を確保することには苦労も伴いましたが、トレーニングと食生活の両面から身体づくりを追求していました。
2011年シーズンには18勝を挙げ、防御率1.44、276奪三振という優れた成績を残しています。競技成績には投球技術や経験などさまざまな要素が関わりますが、身体づくりを大きく見直した時期に印象的な記録を残したことは興味深い点です。
その年の12月24日には、クリスマスイブにもかかわらず、朝からランニングとキャッチボールを行い、午後には下半身の筋力トレーニングに取り組んでいました。
本人の公式ブログに記録されている重量は、スクワット220kg、デッドリフト200kgです。
クリスマスイブに下半身を鍛えることになった状況をユーモラスに紹介しながら、約1か月半のトレーニングで身体が予想以上に強くなったことを喜んでいました。
さらに、食事やサプリメントについても前年から考え方を変えていたそうです。食事は以前より無理なく考えながら摂るようになり、サプリメントの種類やタイミングも見直していました。
筋力トレーニングと食生活を組み合わせ、身体の変化を自分自身で確かめる。当時から、野球のための身体づくりを一つの研究のように捉えていたことが分かります。
ストレッチは約30分から約90分へ
年齢を重ねるにつれて、ダルビッシュさんの身体づくりはさらに細かくなっていきました。
2025年2月の現地取材では、10年ほど前には約30分だったストレッチが、現在では約90分必要になっていると本人が説明しています。
若い頃には身体の強さを高めることを意識していましたが、30代後半には、試合や練習へ向けて身体を準備するための時間も増えていました。
ストレッチに時間をかけることについて、本人は年齢に合わせて以前より多くの準備が必要になったという考えを示しています。
同じ取材では、同僚のマイケル・キング投手が、ダルビッシュさんの練習の細かさについて語っています。
キング投手によると、ダルビッシュさんはウエイトルームでも、自分の身体に必要な動きを考えた非常に具体的なトレーニングに取り組んでいたそうです。
さらに、周囲の投手たちにも関心を持ち、ほかの選手の取り組みから学ぼうとする姿勢が印象的だったといいます。
身体を鍛えることに加え、試合や練習に向けてどのように準備するか。その時間の使い方にも、長年の競技経験が表れています。
39歳で挑戦した投球フォームの大幅変更
ダルビッシュさんは、身体の使い方そのものについても研究してきました。
2025年のインタビューでは、筋肉の働き方や身体の反応が年齢とともに変化していることに触れ、骨格や股関節の動き、マウンドの傾斜をより意識するようになったと語っています。
特に注目していたのが、下半身の使い方と体重移動です。
マウンドの傾斜を利用しながら、股関節の位置や身体の重心を調整することで、投球動作をより自然につなげる方法を研究していました。
そして2025年8月には、シーズン途中で投球時の腕の角度を大きく変更しました。
従来は約40度だった腕の角度を33度程度へ、さらに約28度まで下げたことが報じられています。
パドレスの投手コーチ、ルーベン・ニエブラ氏によると、この変更を提案したのはダルビッシュさん本人でした。
腕の角度を変えると、ボールの軌道や変化球の動きにも変化が生まれます。ダルビッシュさんは、多彩な球種を操る技術を持ちながら、新しい角度からの投球にも挑戦しました。
39歳で投球フォームを大胆に見直す姿からは、これまでの経験を生かしながら、新しい可能性を探し続ける姿勢が感じられます。
豆知識②|遠征先で苦手なステーキに挑戦
2017年の公式ブログでは、遠征先のシアトルで食べた試合前の食事を紹介しています。ホテルのレストランでステーキを注文したものの、実はステーキがあまり得意ではないと告白。約200gの肉を食べようとしましたが、途中で苦労した様子をユーモラスに書いていました。一緒に食べたおにぎりやトマトスープは気に入っていたそうです。
3.食生活と栄養管理|登板前の献立から和食中心の自炊まで
登板前日に選んだチキンカレーとフォー
ダルビッシュさんの健康習慣を知るうえで、食生活は非常に興味深いテーマです。
2014年3月の公式ブログでは、登板前日に食べたメニューを紹介しています。
その日の献立は、ベトナム料理のチキンカレーと、エビと野菜のフォーでした。
本人は、タンパク質、脂質、炭水化物のバランスを意識し、翌日に長いイニングを投げるため、炭水化物を十分に摂ることを考えていたそうです。
試合で長時間にわたって投球することを想定し、前日の食事から準備していることが分かります。
食後には仲間たちとアイスクリーム店へ行ったものの、この日は自分の食事計画に合わせ、アイスクリームを眺めるだけにしたと書いています。
次の登板までには一度食べたいという気持ちも記しており、日々の食事を考えながら、好きなものを楽しみにする親しみやすい一面も感じられます。
同じ頃には、身体に張りがあり、胃腸の調子も普段とは異なっていた日に、シーバスとサーモンを選んだことも紹介していました。
一緒にいた人たちは肉料理を食べていましたが、本人はその日の身体の感覚に合わせて魚料理を選択。その夜にはグルタミンやビタミンCを摂取したことも記録しています。
こうした発信からは、登板予定や身体の状態を考えながら、日々の食事内容を決めていたことが伝わってきます。
ナイター後の牛しゃぶと2017年の食事習慣
本人の公式ブログには、ナイター終了後の具体的な食事も記録されています。
2017年の投稿では、夜の試合が終わって帰宅するのが23時前になることが多く、試合前の18時頃に球場で食事をしたあと、帰宅してから最後の食事を摂っていたと説明しています。
そのメニューは、白いご飯にしらすとポン酢、そして牛肉のしゃぶしゃぶでした。
本人によると、牛肉は約250g、ご飯はどんぶり1杯程度です。
自宅近くに日本のスーパーマーケットができ、しゃぶしゃぶに使いやすい牛肉を手に入れられるようになったことを喜んでいました。
しゃぶしゃぶは家族が食事の準備や片付けをしやすい点も気に入っていたそうです。
遠征中にはこの食事を楽しめないことを残念がっており、海外で暮らすダルビッシュさんにとって、日本の食事が日常の楽しみになっていたことが分かります。
同じ年の別の投稿では、試合前にはうどんなどを食べることがあり、遠征先でうどんを用意しにくい場合には、その場所で食べられる料理を選んでいたと紹介しています。
また、試合の約1時間半前にバナナを食べていたことも記録しています。
日本で親しんだ食事を大切にしながら、アメリカ各地への遠征に合わせて献立を考える。海外を拠点とするプロ野球選手ならではの食生活です。
2024年は腸内環境を意識した和食の自炊へ
近年の本人発言から特に注目したいのが、2024年3月の高木豊さんとの対談です。
ダルビッシュさんはこのとき、キャンプ地で自炊をしていることを明かしました。
中心となっていた献立は、白米、みそ汁、納豆、温泉卵、鶏の胸肉、サラダという組み合わせです。
毎食必ず同じものを食べていたわけではありませんが、このセットを基本にしていたと説明しています。
本人は、腸内環境を考えて、なるべく和食を自分で作るようにしていると語っていました。
同じ取材では、以前のWBCのときより若返ったように感じると高木さんから声をかけられ、当時は疲れていたことや、最近は肌つやも少し良いと感じていることを笑いながら話しています。
ダルビッシュさん本人が肌の状態に言及している点は、美容・健康への考え方を知るうえでも興味深いエピソードです。
日々の身体の変化を意識しながら食生活を見直している様子が伝わってきます。
この取材では、トレーニング量も増やしていたことを説明しています。食事、身体の動き、筋肉の張り方などを日々確認しながら、自分に合ったコンディション管理を追求していました。
2011年の増量期、2014年の登板前の栄養管理、2017年の試合後の日本食、そして2024年の和食中心の自炊へ。時期ごとの食事を比較すると、ダルビッシュさんが競技生活の変化に合わせ、食生活を工夫してきたことが分かります。
豆知識③|大谷翔平らを自宅でおもてなし
2016年には、日本ハムのアリゾナキャンプに参加していた大谷翔平さんや中田翔さん、杉谷拳士さんらを自宅へ招いたことが報じられています。妻の山本聖子さんがピザやスペアリブなどを用意し、古巣の仲間たちと食卓を囲んだという温かな交流エピソードです。
4.サプリメントと栄養への探究心|20代から続く研究
身体づくりへの関心が広がった20代
ダルビッシュさんのサプリメントへの関心は、プロ入り後の早い段階から続いています。
松坂大輔さんや斉藤和巳さんのような優れた投手に近づきたいという思いから、投球技術に加えて栄養やトレーニングについても知識を深めていったと語っています。
2008年の公式ブログでは、遠征へ向かうときにグローブやユニフォームより先にサプリメントをバッグへ入れるほど、大切にしていたことを紹介していました。
当時の記録には、マルチビタミン系製品、ZMA、関節関連の栄養補助食品、クレアチン、プロテインなどが登場します。
これらを日々の身体づくりの一部として考え、トレーニングや食生活と組み合わせながら研究していたことが分かります。
2011年のオフシーズンにも、トレーニング内容に加えてサプリメントの種類や摂取するタイミングを見直していたと語っており、本人の研究は年々深まっていきました。
2014年に公開した具体的なサプリメント
2014年3月16日には、読者からの質問に答える形で、夕食後に摂っていたサプリメントを公式ブログで公開しています。
当時紹介したのは、マルチビタミン、ビタミンA、Bコンプレックス、ビタミンC、D、E、関節関連のサプリメント、そして食事量が多い日に利用する消化酵素でした。
手のひらに並べた写真も公開しており、当時の報道によると、その数は28錠でした。
種類の多さについて本人もユーモラスに触れ、以前より減らした内容だと説明しています。
さらに、起床後や就寝前にも別のサプリメントを摂っていると明かしていました。
この記録からは、栄養素の種類だけでなく、摂取する時間帯についても考えていたことが分かります。
ダルビッシュさんは読者に対して、栄養について自分自身で調べることにも触れていました。知識を増やし、自分の身体について考えることを大切にしていた姿勢が感じられます。
これらは2014年当時の本人の使用記録であり、現在の摂取内容を示すものではありません。栄養補助食品の種類や摂取量については、個人の食生活や健康状態などに応じて判断することが大切です。
伊藤大海を驚かせた知識と準備の細かさ
ダルビッシュさんのコンディショニングへの関心は、栄養補助食品の種類を調べることから、身体の動きやトレーニング、休息、リハビリへと広がっていきました。
2015年には会員向けサービス「Team Darvish」で、股関節の使い方、腹圧の安定、下半身のトレーニング、脱力を意識した身体の動かし方など、専門的な話題について発信しています。
理学療法士やトレーナーとの関わり、アイシング、休息、水分補給などについても扱っていました。
こうした探究心を物語るのが、日本ハムの伊藤大海投手とのエピソードです。
少年時代からダルビッシュさんに憧れていた伊藤投手は、合同トレーニングに参加し、自宅を訪れる機会もありました。
2026年に公開されたインタビューでは、サプリメントについて質問した際、テーブルいっぱいに栄養補助食品が並べられていたことに驚いたと振り返っています。
さらに、キャッチボールやトレーニングを一つひとつ丁寧に行い、投球データも細かく確認する姿が印象的だったそうです。
20歳の頃に始まったコンディショニングへの関心が、長い年月を経て、後輩選手たちにとっても学びの対象となっています。
豆知識④|ファンの投球フォームを確認する企画も
2015年には「Team Darvish」を通じて、参加者が送った投球フォームの動画を本人が確認する企画も紹介されました。プロとして培った知識を、野球に取り組む人たちと共有することにも関心を持っていた一面が分かります。
5.睡眠・休息・コンディション管理|家族とともに整える生活習慣
長いシーズンを支える睡眠と毎日の準備
ダルビッシュさんは、2025年のMLB公式インタビューで、食事とともに睡眠を重要なコンディション管理の要素として挙げています。
メジャーリーグでは長距離移動や時差を伴う遠征が続き、昼間の試合と夜の試合では生活リズムも変わります。
そのため、毎日の睡眠を大切にしながら、その日の身体の状態を確認し、練習内容を調整することを意識してきました。
長いシーズンでは、登板日、移動日、練習日などによって過ごし方も変化します。ダルビッシュさんは、毎日の状況を考えながら必要な準備を進めることを大切にしています。
2025年の取材では、年齢を重ねてからは以前より細かな部分まで身体の状態を確認するようになったと説明しています。
若い頃から続けてきた食事や睡眠への関心が、長い競技経験を経て、より丁寧な日々のコンディション管理につながっていることが分かります。
妻・山本聖子さんが工夫した家族の朝
こうした健康習慣は、家庭での生活にも反映されています。
2022年4月、妻の山本聖子さんは、シーズン中の家族の朝の過ごし方をブログで紹介しました。
子供たちが起きてから学校へ出発するまでの時間は、主に寝室で過ごすようにしていたそうです。
その理由は、ダルビッシュさんの睡眠時間を守るためでした。
同時に、子供たちも静かにするよう何度も注意されずに済み、聖子さんも必要以上に気を配らずに朝の準備を進められるという利点がありました。
当時の長男は、朝7時までに自分の支度をほとんど済ませ、弟や妹の世話を手伝っていたそうです。
その間に聖子さんは、朝食やお弁当、水筒などを準備していました。
家族全員が役割を分担し、それぞれが気持ちよく朝を過ごせるように工夫していたことが分かります。
トップアスリートの睡眠を大切にしながら、子供たちの生活も尊重する。日常の工夫から、家族の協力が伝わってくるエピソードです。
また、2022年の春季キャンプでは、子供たちの学校生活を考え、聖子さんと子供たちはサンディエゴに残ることを選びました。
その後、学校や野球の練習の予定を調整しながらアリゾナを訪れ、食材や調味料を持参してダルビッシュさんの食事を用意していたことも紹介されています。
家族の時間、子供たちの学校生活、プロ野球選手としての準備。それぞれを大切にしながら暮らしを整えてきたことがうかがえます。
食事や睡眠を大切にするという本人の考え方が、家庭では家族みんなの生活に合った工夫として形になっていたのです。
豆知識⑤|韓国で迎えた2024年の開幕戦
2024年のパドレスは、韓国・ソウルでドジャースとの開幕シリーズに臨みました。ダルビッシュさんも韓国での開幕戦を経験しています。2023年のWBC、2024年の海外開幕戦と特別なシーズン準備が続いたため、2025年にはアリゾナで落ち着いて春季キャンプを過ごせることを喜んでいました。
6.40歳からの身体づくり|右肘手術とリハビリへの向き合い方
ダルビッシュさんの長い競技人生には、身体づくりへの挑戦とともに、けがからの復帰という大きなテーマがあります。
2015年にはレンジャーズ在籍中に右肘の靱帯再建手術を受け、そのシーズンを全休しました。
その後、リハビリを経て復帰し、2018年にも右肘の問題で長期離脱を経験しましたが、メジャーリーグで投げ続けました。
2020年にはナショナル・リーグ最多勝を獲得し、2024年には日米通算200勝を達成しています。
2023年には右肘の状態によりシーズン終盤を欠場し、2024年にも首や左脚の付け根の問題などで離脱する時期がありました。
そうした経験を重ねながら、身体の状態に合わせてトレーニングや投球フォームを見直してきました。
2025年は右肘の問題でシーズン序盤の登板を見合わせ、その後7月に復帰しましたが、シーズン終了後の10月29日には、右肘の内側側副靱帯を補強し、屈筋腱を修復する手術を受けました。
2026年はリハビリに専念し、段階的に投球動作を取り戻す取り組みを続けています。
5月にはキャッチボールを再開し、8月26日にはパドレスの本拠地ペトコパークでブルペン投球を行いました。
当日は球団スタッフやチームメートが見守るなかで投球し、本人もマウンドから再びボールを投げられることへの喜びを語っています。
2026年10月時点で、メジャーリーグの公式戦への復帰時期は決まっていません。本人は右肘のリハビリに集中し、再び競技に向き合える状態になった段階で、その先について判断する考えを示しています。
ダルビッシュさんは、身体を大きくするためにトレーニングへ取り組んだ若い頃から、投球フォームの研究、手術後のリハビリまで、さまざまな課題に向き合ってきました。
そのときの身体の状態を確認し、できることを積み重ねていく姿には、長年培ってきた準備への姿勢が表れています。
2026年のWBCでは、右肘のリハビリを続けるなか、日本代表のチームアドバイザーとして宮崎キャンプに参加しました。
2009年と2023年には選手として世界一を経験したダルビッシュさんが、今度は経験豊かな先輩として若い投手たちを支える立場になったのです。
自分自身のリハビリに取り組みながら、これまで積み重ねてきた知識を次の世代へ伝える。野球との関わり方にも、長い競技人生ならではの広がりが生まれています。
豆知識⑥|息子もサンディエゴで大学野球へ
2025年12月には、息子の翔栄さんがカリフォルニア大学サンディエゴ校で野球を続ける進路を選んだことが紹介されました。ダルビッシュさんは、野球選手としてだけでなく、人間として成長した息子を誇りに思っているという趣旨の発言をしています。父から息子へと野球への思いがつながる、温かなエピソードです。
7.妻・山本聖子との結婚と家族生活|7人の子供たちへの思い
元レスリング世界女王の妻と築く家庭
ダルビッシュさんの妻は、女子レスリングで世界選手権を制した経験を持つ山本聖子さんです。
ダルビッシュさんは2007年にタレントの紗栄子さんと結婚し、2人の息子をもうけました。その後2012年に離婚し、2014年に山本聖子さんとの交際を公表。2016年に結婚しています。
聖子さんにも前の結婚で生まれた息子がおり、ダルビッシュさんとの間には3人の息子と1人の娘が誕生しています。
2024年にダルビッシュさんが紹介した7人の子供たちは、前妻との2人の息子、聖子さんの前婚のお子さん、そして夫妻の間に生まれた4人です。
聖子さん自身も世界の舞台で活躍してきたアスリートであり、子供たちの日常とダルビッシュさんの競技生活を両立させるため、さまざまな工夫を重ねてきました。
7人の子供たちが集まった幸せな1週間
2024年10月、ダルビッシュさんは自身のSNSで、前妻との2人の息子がサンディエゴの自宅を訪れたことを報告しました。
息子たちは約1週間滞在し、現在の家庭で一緒に暮らす5人の子供たちと遊び、楽しい時間を過ごしたそうです。
ダルビッシュさんは、子供たちが仲良く過ごしていたことを喜び、とても幸せな1週間だったと振り返っています。
さらに、山本聖子さんが7人の子供たち全員の姿をシルエットにしたデザインを作り、パーカーにしてプレゼントしてくれたことも紹介しました。
ダルビッシュさんは、そのパーカーを一生の宝物として大切にする思いを表しています。
また、2024年11月には息子たちと北海道を訪れ、日本ハムの新しい本拠地であるエスコンフィールドHOKKAIDOを見学しました。
北海道は、ダルビッシュさんがプロ野球選手として成長した大切な場所です。自分の歩んできた道を子供たちに伝える機会にもなりました。
2026年には故郷の大阪府羽曳野市も訪れ、母校や思い出の場所を巡ったことが紹介されています。
長年アメリカでプレーしてきたダルビッシュさんにとって、日本で過ごした場所を子供たちと一緒に訪れることは、家族と自身の野球人生を共有する貴重な時間になっているのでしょう。
サンディエゴでの家族支援活動
家族を大切にする姿勢は、地域での社会貢献活動にも表れています。
ダルビッシュさんは、病気の子供とその家族を支援するロナルド・マクドナルド・ハウスの活動にも関わっています。
2025年には、パドレスの地域交流活動の一環として施設を訪れ、家族やスタッフとの交流に参加しました。
さらに、ダルビッシュさんとその家族、パドレス財団の支援によって、施設内にパドレスをテーマにした交流スペースが設けられています。
このスペースは「Padres Clubhouse」と名づけられ、子供たちが遊べるゲームコーナー、読書コーナー、大きなテレビ、自由に絵を描ける場所などが用意されています。
ダルビッシュさんの姿を大きく描いた壁画もあり、子供たちが野球を身近に感じながら過ごせる空間となっています。
施設側の公式発表でも、ダルビッシュさんとパドレス財団による支援への感謝が伝えられています。
病気と向き合う子供たちや、その家族が楽しく過ごせる時間を大切にした取り組みです。
世界の舞台で活躍してきたダルビッシュさんが、地域の子供たちや家族にも温かな思いを向けていることが分かります。
豆知識⑦|故郷には千手観音のような記念マンホール
大阪府羽曳野市には、ダルビッシュさんの投球姿を描いた記念マンホールがあります。多彩な変化球を操ることから、何本もの腕を持つ千手観音をイメージしたユニークなデザインになっています。故郷に残る、本人ならではの記念スポットです。
8.WBCと後輩選手との交流|学び続ける姿勢が生むつながり
佐々木朗希や伊藤大海へ伝えた技術と経験
ダルビッシュさんの探究心は、自分自身の投球技術を磨くことだけでなく、後輩選手たちとの交流にも表れています。
2023年のWBC日本代表合宿では、佐々木朗希投手にスライダーの握り方や投げ方を伝える場面が注目されました。
佐々木投手は教わった握り方を実際に試し、ボールの変化や投げた感触を確かめていました。
ダルビッシュさんも投球データを確認しながら、若い投手の球質や変化球の特徴について言葉をかけています。
自分が長年研究してきた技術を共有し、相手が投げたボールを見ながら一緒に考える。そんな姿から、野球への深い関心と後輩への思いが伝わります。
今永昇太投手も、2023年のWBCでメジャーリーグの打者についてダルビッシュさんから話を聞いていたと語っています。
伊藤大海投手も、少年時代から憧れていたダルビッシュさんとの合同トレーニングを通じて、身体づくりや投球技術について学びました。
また、宇田川優希投手は、初めて日本代表に参加した際にダルビッシュさんが声をかけてくれたことを振り返っています。
宇田川投手はその後、右肘の手術を受けたリハビリ期間に、ダルビッシュさんが取り組んでいた左投げを思い出し、自分でも挑戦するようになりました。
ダルビッシュさん自身も右投げの投手でありながら、左腕での投球を練習してきました。2015年の右肘手術後には、左腕で約127km/hを記録したことも報じられています。
自分が研究してきた身体の使い方が、後輩選手の新しい挑戦につながった興味深いエピソードです。
若い投手からも積極的に学ぶ
ダルビッシュさんの興味深いところは、豊富な経験を持つベテランでありながら、若い投手から教わることにも積極的な点です。
2023年のWBC合宿では、高橋奎二投手にチェンジアップの握り方を尋ね、実際に試してみる姿も紹介されました。
年齢や実績にかかわらず、新しい技術に興味を持ち、自分の感覚で確かめる。その行動は、若い頃から筋力トレーニングや栄養について研究し、39歳でも投球フォームを大きく見直した姿勢と共通しています。
同じ時代に日本とメジャーリーグで活躍してきた田中将大さんとの交流もあります。
2学年下の田中さんとは日本代表での活動などを通じて交流を重ね、互いに刺激を受けてきました。
2025年に田中さんが日米通算200勝を達成した際には、ダルビッシュさんもその歩みについて言及しています。
長い競技人生を続けるなかで、同世代の選手と刺激を受け合い、若い世代へ経験を伝える。その両方を大切にしていることが、さまざまな交流から感じられます。
2026年にはWBCのチームアドバイザーとして、日本代表を支える立場でも活動しました。
選手として積み重ねてきた経験を、次の世代へ伝える。ダルビッシュさんにとって、野球への探究心はグラウンドで投げる時間だけに限られないものになっています。
豆知識⑧|カブス時代にはナックルカーブも研究
ダルビッシュさんは多彩な変化球を操る投手として知られています。カブス時代には、同僚のクレイグ・キンブレル投手のナックルカーブにも関心を持ち、変化球の握り方や投げ方を研究していました。さまざまな球種を使い分ける投手ならではの、技術への好奇心が伝わるエピソードです。
ダルビッシュ有さんの歩みをたどると、世界の舞台で活躍する投手の姿とともに、自分自身の身体を知ろうとする一人の研究熱心な人物の姿が見えてきます。
プロ入り間もない頃の悔しさをきっかけに栄養やトレーニングについて学び始め、長い競技生活のなかで食事、睡眠、身体の使い方への理解を深めてきました。年齢による変化やけがという新しい課題にも向き合いながら、その時々にできることを見つけて取り組んでいます。
その探究心は、自分だけのものにとどまりません。若い投手に変化球を教えるときも、後輩から新しい技術を学ぶときも、ダルビッシュさんは野球について考える時間を楽しんでいるように見えます。
そして、妻の山本聖子さんや子供たちとの日常、家族で協力して睡眠時間を守る工夫、故郷を子供たちと訪れる時間、病気の子供とその家族を支える活動など、家庭や地域で大切にしているものもあります。
筋力トレーニング、食生活、サプリメント、睡眠、ストレッチ、リハビリ。それぞれの習慣を通じて伝わってくるのは、身体の小さな変化に関心を持ち、経験から学び、必要なことを考え続ける姿勢です。
華やかな記録の裏側にある、日々の準備と地道な積み重ね。そして家族や仲間への温かな思い。ダルビッシュ有さんの魅力は、世界的な投手としての活躍だけでなく、長い年月をかけて育んできたその生き方にも表れています。