羽生結弦の美容法・健康習慣|スキンケア・食生活・筋トレ・腹斜筋・睡眠・アミノ酸

羽生結弦の美容法・健康習慣|スキンケア・食生活・筋トレ・腹斜筋・睡眠・アミノ酸

OBARASOTARO

氷の上を滑る姿は、まるで重力から解き放たれているよう。指先まで美しく伸びる腕、柔らかくしなる身体、繊細な表情、そして難しいジャンプを跳んだ直後にも音楽の世界へ戻っていく集中力。羽生結弦さんの演技には、スポーツの迫力と芸術の美しさが共存しています。

羽生結弦さんは1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。4歳でフィギュアスケートを始め、2014年ソチ冬季オリンピックと2018年平昌冬季オリンピックで男子シングルの金メダルを獲得しました。男子フィギュアスケートでは66年ぶりとなるオリンピック2連覇を達成し、2018年には国民栄誉賞を受賞した、日本を代表するフィギュアスケーターです。

代表的なプログラムには『パリの散歩道』『バラード第1番』『SEIMEI』『Hope & Legacy』『天と地と』などがあります。特に平昌オリンピックで披露した『SEIMEI』は、和の世界観を取り入れた衣装、力強いジャンプ、しなやかな身体表現が一体となった演技として、世界中の人々の記憶に残りました。

2022年7月には競技会から離れ、プロフィギュアスケーターとして新たな活動を開始。『プロローグ』『GIFT』『RE_PRAY』『Echoes of Life』などの公演では、スケートと音楽、映像、照明、物語を組み合わせた独自の表現を追求してきました。2026年には『REALIVE』を開催し、31歳となった現在も新しい挑戦を続けています。

そんな羽生さんについて、多くの人が関心を持つのが、透明感のある肌や美しいスタイル、しなやかな身体、そして長年にわたって高い水準の演技を続けるための美容法・健康習慣ではないでしょうか。

本人のインタビューを詳しくたどると、スキンケアでは意外なほど自然体でありながら、食事やトレーニングでは専門家と協力し、身体の状態を細かく研究してきたことが分かります。10代の頃には食事にあまり関心がなかった少年が、やがて栄養を学び、自分の身体を深く理解しようとするアスリートへと成長していきました。

今回は、羽生結弦さんが実際に語ってきたスキンケア、食生活、アミノ酸やタンパク質の補給、筋トレ、柔軟性、睡眠、休息方法を詳しく紹介します。さらに、家族の支え、共演者との交流、ゲームや音楽を楽しむ素顔まで、競技人生とともに振り返ります。

1.羽生結弦の美容法|透明感のある肌と自然体のスキンケア

冷やした化粧水と、ローズやジャスミンの香り

羽生結弦さんといえば、きめ細かく透明感のある肌も印象的です。競技会やアイスショーでは、テレビカメラや大勢の観客の前に立つため、普段から特別な美容習慣を続けているのではないかと思う人もいるでしょう。

実際の本人発言から見えてくるのは、化粧品の感触や香りを楽しむ、自然体の美容観です。

2019年6月、地元仙台で開催されたコーセー『雪肌精』のトークショーでは、化粧水について具体的に話しています。

当時、同ブランドのアンバサダーを務めていた羽生さんは、化粧水のさっぱりした清涼感のある使用感が好きだと語りました。さらに、冷蔵庫で冷やして使用することもあるという、自分なりの使い方を紹介しています。

また、ローズやジャスミンの香りも好んでおり、化粧品を使用するときの感覚にまで、自分なりのこだわりがあることが伝わってきます。

フィギュアスケートでは、音楽の微妙な変化や身体のわずかな傾き、氷に触れるブレードの感覚など、多くの要素に意識を向ける必要があります。長年そうした感覚を磨いてきた羽生さんが、化粧水についても使用感や香りを具体的に語っているのは興味深いところです。

このイベントでは、美しさとフィギュアスケートに共通するものとして、継続の大切さについても話しています。

難しいジャンプを一度成功させることと、どのような場面でも美しく跳べる技術を身につけることは別です。音楽に合わせた指先の動きや身体のラインも、日々の練習を通じて磨かれていきます。

羽生さんにとって、美しさは日々の小さな積み重ねとも結びついているのでしょう。

なお、これらは美容ブランドのイベントで語られた当時の発言です。羽生さんがどのような感触や香りを好んでいたかを知る記録として紹介しています。

美容への飾らない考え方と、演技で見せる美しさ

一方、2022年9月に地元宮城の情報番組『OH!バンデス』へ出演した際には、スキンケアに関する質問に対し、普段はそれほど意識していないことや、自分が非常に汗をかく体質であることを笑顔で話しています。

2019年には化粧水の使用感や香りを楽しむ話をし、2022年には美容に対して自然体な姿勢を見せる。この二つの発言からは、日々の生活のなかで自分の感覚を大切にしている様子がうかがえます。

また、過去の美容関連イベントでは、競技会では基本的にメイクをせず、髪型も比較的短時間で整えるという考え方を語ったこともあります。

2019年の取材では、髪型を整えるのにかける時間は5〜10分ほどで、ドライヤーも使っていないと話していました。

その一方で、演技で使用する衣装や音楽、腕の動き、指先の伸ばし方、身体のラインには非常に細かなこだわりがあります。

羽生さんが大切にしてきたのは、観客に伝えたい世界観を全身で表現することです。

例えば『SEIMEI』では、安倍晴明という人物の神秘性や力強さを、衣装や音楽だけでなく、視線、姿勢、腕の動かし方まで使って表現しました。

『バラード第1番』では、ピアノの旋律に合わせた柔らかな身体のラインと、高度なジャンプ技術を組み合わせています。同じスケーターが演じていても、作品によってまったく異なる雰囲気を生み出すことができるのです。

2019年の取材では、フィギュアスケートを自分にとっての一つの言語として捉えていることも語っています。言葉が通じない国の人にも、身体による表現を通じて思いを届けられる。その考え方は、世界中のファンを魅了してきた羽生さんの演技にも通じています。

氷上での姿勢や動き、表情を通して生まれる美しさには、言葉を超えて伝わるものがあります。羽生さんが長年追求してきたのは、そうした全身を使った表現なのです。

羽生結弦の豆知識①|プーさんは長年そばにいた相棒

羽生さんの競技時代におなじみだったのが、くまのプーさんのティッシュカバーです。2022年のテレビ出演では、もともとティッシュカバーについていたことがきっかけだったと説明しています。本人にとっては「相棒」のような存在で、試合後にファンから大量のプーさんのぬいぐるみが投げ込まれる光景も、羽生さんを象徴する名場面になりました。

華やかな氷上の姿の裏側には、激しい練習と繊細な身体感覚があります。スキンケア用品の心地よさを楽しむ自然体の素顔と、美しい演技を追求するストイックな姿勢。その対照的な魅力も、羽生さんが多くの人を引きつける理由の一つなのでしょう。

2.羽生結弦の食生活|食べることが苦手だった17歳からの変化

栗原秀文さんとの出会いで変わった食事への考え方

羽生さんの健康習慣を詳しく調べると、特に興味深い変化が見えてくるのが食生活です。

現在は食事の内容やタイミングを細かく考えている羽生さんですが、10代の頃は食べることへの関心が薄く、栄養に関する知識もこれから身につけていく段階でした。

大きな転機となったのが、17歳頃に出会った味の素の栄養サポート担当者・栗原秀文さんでした。二人の出会いをきっかけに食生活への関心が深まり、2013年からは味の素の「ビクトリープロジェクト」による本格的な栄養サポートが続いていきます。

2012年、羽生さんはさらなる技術向上を目指して、練習拠点をカナダ・トロントへ移しました。当時は慣れない食材や料理との相性にも悩み、食べやすいものを探す必要があったといいます。

2024年に公開された栗原さんとの対談では、もともと胃が強い方ではなく、食べられるときと食べにくいときがあったことを振り返っています。

さらに、フィギュアスケートという競技の特性から、食事を栄養補給よりも体重管理と結びつけて考えていたことも明かしています。

ジャンプを跳ぶために身体を軽く保ちたいという思いがあり、食べることへの意識も慎重になっていたのでしょう。

そんな羽生さんに、栗原さんは栄養素の役割や、食べるタイミング、練習前後の補食などについて説明しました。

当時は、ご飯を茶わん一杯食べるとどのくらいのエネルギーになるのかということさえ、十分に理解していなかったと羽生さん自身が振り返っています。

世界の頂点を目指していた高校生が、食事の基本から学び始めたというのは、意外なエピソードです。

この時期に身につけた栄養の知識は、その後の競技生活にも深く関わることになります。羽生さんは、自分でも食べ方や栄養の取り方を考えるようになり、専門家と話し合いながら日々の食生活を整えていきました。

最初に重視されたのは、本人が食べやすいものを見つけることでした。そのうえで、練習量や身体の状態に合わせて食事を考える方法へと進んでいったのです。

この変化を象徴するのが、17歳頃の好きな食べ物についてのエピソードです。

当時の羽生さんが好きだと答えたのは、焼き肉と寿司でした。その理由には、食事の量を自分のペースで調整できることもあったそうです。

一度に出される量が少なく、一口ずつ食べ進められる料理が合っていたのです。

栗原さんによれば、羽生さんには出されたものをきちんと食べ切りたいという几帳面な一面がありました。

大きなステーキが一皿出てくるよりも、焼き肉や寿司のように少しずつ食べられる料理の方が、当時の羽生さんにとって安心して楽しめる食事だったのでしょう。

世界的なアスリートの食生活にも、本人の性格や好みが深く関わっていたことが分かる、微笑ましいエピソードです。

汁物、鍋料理、食事のタイミングを工夫するように

栄養サポートでは、食べやすい料理を考えることも大切にされてきました。

その代表的なものが、温かい汁物や鍋料理です。

鍋料理は、肉や魚、野菜などを組み合わせやすく、食材を変えることでさまざまな味を楽しめます。羽生さんの食べやすさにも配慮しながら、栄養を取る工夫が続けられてきました。

2014年ソチオリンピックの期間中には、栄養サポート担当者と鍋料理を囲み、4杯もおかわりしたというエピソードが紹介されています。

食べることにあまり積極的ではなかった羽生さんが、温かい鍋を楽しみながら食べたという出来事は、食生活への考え方が変化していったことを感じさせます。

また、栄養サポートの取材では、だしやアミノ酸について学び、自宅でも食事の最初に汁物を飲むようになったと語っています。

食事の内容だけでなく、食卓での過ごし方にも、自分なりの工夫を取り入れていたのです。

20代に入ると、食事への意識はさらに細かくなりました。

2024年末から2025年にかけて公開された栗原さんとの対談では、23〜24歳頃から身体の重さをより意識するようになり、練習量に合わせて食事の量をグラム単位で調整することもあったと振り返っています。

特に気にしていたのが、食事を取った後の胃の状態とジャンプの感覚でした。

競技会が夜遅くに終わり、その後に取材や記者会見を終えて夕食を取ると、食事が深夜になる場合があります。そして翌日の練習が昼頃から始まる場合には、朝にも食事を取る必要があります。

そのような日程では、前夜の食事と翌朝の食事の間隔が短くなるため、食事の量やタイミングを専門家と相談しながら調整していました。

羽生さんは、胃に食べ物が残っているような感覚がジャンプに影響する場合もあったと説明しています。

ジャンプでは着氷時に身体へ大きな力がかかります。羽生さんは、そうした競技特有の身体への負担を感じ取りながら、食事の取り方を考えていました。

その一方で、試合前に身体の状態を尋ねられると、元気だと答えていたことも、栗原さんとの対談で笑いながら振り返っています。

身体のわずかな変化まで感じ取りながら、周囲には前向きな姿勢を見せる。羽生さんの几帳面さと精神的な強さが同時に伝わるエピソードです。

こうした食事量の調整は、高難度のジャンプに取り組むトップアスリートとして、専門家と相談しながら行ってきたものです。羽生さん独自の競技上の事情を理解することで、その細かな身体管理の意味が見えてきます。

羽生結弦の豆知識②|録画されていないカメラにすぐ気づいた

2024年の栗原秀文さんとの対談では、取材が始まる前から羽生さんの鋭い観察力が発揮されました。撮影用カメラの一台が録画状態になっていないことに気づき、自らスタッフに知らせたのです。氷上で細かな変化を捉える羽生さんらしさが、取材現場でも表れた出来事でした。

自分の身体の感覚を大切にしながら専門家の知識を取り入れてきたことは、その後の栄養補給や運動負荷の管理にもつながっています。

3.アミノ酸・タンパク質補給|長年の身体管理を支えた栄養習慣

練習前後に使い分けていた栄養補助食品

羽生さんは、普段の食事に加えて、練習内容や身体の状態に合わせた栄養補助食品も取り入れてきました。

朝日新聞デジタルの栄養サポート特集では、アミノ酸補給食品を活用しながら、食事と補食のバランスを考えてきたことが紹介されています。

味の素によるサポートでは「アミノバイタル プロ」や「アミノバイタル GOLD」シリーズなどが取り上げられ、活動内容に合わせた栄養補給が行われていました。

羽生さんは長年の栄養指導を通じて、アミノ酸の種類や食事との組み合わせについて学び、練習の前後で必要な栄養を考えるようになりました。

氷上でのスケートに加え、陸上でのトレーニングやストレッチも日常に含まれるため、通常の食事を基本としながら補食を組み合わせることも、身体管理の一部となっていました。

本人は、忙しい日には食事を準備することが面倒に感じられ、ご飯と味噌汁だけで済ませたくなることもあると話しています。

そんなときにも、自分に必要な栄養を考え、肉や魚などを意識して食事に取り入れたり、手軽に食べられる補食を利用したりしていました。

世界的なアスリートであっても、日々の食事の準備には現実的な悩みがあります。そのなかで、自分にできる工夫を見つけながら栄養と向き合ってきたことが伝わります。

2023年の取材では、通常のおにぎりより小さく作られた、だしの風味を生かした補食用のおにぎりも、羽生さんが取り入れてきたメニューとして紹介されています。

食事を少量ずつ取りやすいように工夫するという考え方は、17歳頃に焼き肉や寿司を好んでいた理由ともつながっています。

大きな食事を一度に取ることよりも、その日の身体の状態に合わせて食べる量や時間を工夫する。そうした考え方が長年の栄養管理に生かされてきました。

なお、紹介した栄養補助食品や補食は取材当時のサポート内容です。羽生さんは専門スタッフの助言を受けながら、競技や練習に合わせて取り入れてきました。

母親と栄養担当者が支えたカナダ生活と3大会の歩み

羽生さんの栄養管理には、母親の存在も深く関わっています。

2012年にカナダ・トロントへ練習拠点を移した後、母親は現地での生活を支え、栄養サポート担当者とも連携して日々の食事に関わっていました。

海外では、日本で慣れ親しんだ食材がいつでも手に入るとは限りません。練習時間や遠征日程に合わせて食事を準備し、本人の好みや身体の状態を考える必要がありました。

母親と栗原さんたちは、羽生さんの生活に合う方法を相談しながら、食事の工夫を重ねてきました。

こうした長年の取り組みは、オリンピックごとに少しずつ内容を変えていきます。

2014年のソチ大会へ向けては、毎日3食を取り、心身の状態を整えることが基本でした。

2018年の平昌大会では、体重や体組成とともに、日々のトレーニング量や強度を数値化して記録する取り組みが進みました。

同じ時間練習していても、ジャンプを何本跳ぶか、どのような内容で滑るかによって身体への負担は変わります。羽生さんと栗原さんは、その違いを記録し、本人の感覚と照らし合わせていきました。

2022年の北京大会では、4回転半ジャンプへの挑戦が大きなテーマとなりました。

筋力を高めることと、これまで培ってきたジャンプの感覚を保つこと。その両方を考えながら、身体づくりを検討していました。

大会では、料理スタッフと栄養サポート担当者が連携し、競技日程に合わせた食事の準備も行われました。

普段のルーティンを大切にしながら、オリンピックという特別な環境では、その日の予定に合わせて対応することが求められました。

羽生結弦の豆知識③|好きな餃子を栄養担当者が用意

羽生さんが好きな食べ物の一つが餃子です。栗原さんとの対談では、長年のサポートのなかで羽生さんのために餃子を作ったり、さまざまなメニューを考えたりしてきたことが紹介されています。食が細めだった羽生さんが、好きな料理を楽しみながら栄養を学んでいったことを感じさせるエピソードです。

さらに興味深いのは、長年にわたって蓄積された身体の記録です。

羽生さんは、練習負荷のデータと、体組成計で測定した情報、実際の活動量や身体の感覚を比較するなど、自分の身体をより深く理解する取り組みを続けてきました。

計算上の運動負荷と、本人が実際に感じる練習のきつさが一致するのか。食べている量と、練習で使うエネルギーがどのように関係するのか。そうした点を専門家とともに検討してきました。

オリンピック金メダリストとして長年記録を積み重ねてきたことは、羽生さん自身の身体管理だけでなく、専門家にとっても貴重な資料となりました。

羽生さんが自分の演技を磨くために続けてきた取り組みは、次の世代のアスリートが身体づくりを考えるうえでも、参考となる可能性があります。

4.羽生結弦の筋トレと運動習慣|競技時代を超える練習量

プロ転向後、単独公演へ向けて変化した身体づくり

2022年7月、羽生さんは競技会から離れ、プロフィギュアスケーターとして活動を始めました。

プロ転向は、新しい身体づくりへ取り組むきっかけにもなりました。

競技会では、決められた時間内に高度なジャンプやスピン、ステップを組み込んだプログラムを演じます。一方、プロとしての単独アイスショーでは、長時間にわたって複数の演目を滑り続ける必要があります。

2023年の東京ドーム公演『GIFT』や、2024年の『RE_PRAY』では、音楽、映像、照明、物語の展開に合わせた演技を披露しました。

こうした公演には、競技時代に培った瞬発力や技術に加えて、持久力と集中力、作品全体を演じ切るための体力が求められます。

羽生さんは、プロとして新しい表現に挑戦するため、トレーニングの内容もさらに磨いていきました。

その姿勢を象徴するのが、2024年の『RE_PRAY』横浜公演へ向けた練習です。

直前の佐賀公演では、自分が思い描いていた演技を十分に実現できなかったことに悔しさを感じていました。

羽生さんは、そのときの気持ちを、競技時代に大会で思うような結果を残せなかった経験と重ねて語っています。

その悔しさが、次の公演までの徹底的な練習につながっていきました。

ある時期には、朝起きると約1時間のストレッチとトレーニングを行い、その後リンクで約3時間、スケートとトレーニングに取り組んでいました。

帰宅後にも約1時間半のトレーニングを行い、就寝前にはさらに約1時間のイメージトレーニングを重ねていたそうです。

羽生さん自身も、競技会へ出場していた頃より練習したと感じるほどだったと振り返っています。

これほど練習を重ねた理由について、本人は、自分が観客に見せたいと思っている表現に対して、今の技術がまだ十分ではないと感じていたと説明しています。

オリンピックで2度金メダルを獲得した後も、理想の演技へ近づくために練習を重ねているのです。

そして、横浜公演を終えた際には、大きな達成感とともに、公演が終わってしまう寂しさも感じたと振り返っています。

一つの作品へ全力を注ぎ、完成へ近づく喜びを感じながら、その時間が終わることを惜しむ。そこにも羽生さんの表現者としての強い思いが感じられます。

身体と頭の両方で演技を磨くイメージトレーニング

羽生さんの練習には、身体を動かす時間に加えて、演技を頭の中で深める時間もあります。

ジャンプの回転や着氷の感覚、スピンの姿勢、ステップの動きなどを細かく思い描くことは、競技時代から大切にしてきた取り組みの一つです。

プロ転向後は、さらに作品全体の物語や音楽への理解も重要になりました。

『RE_PRAY』では、作曲者が音楽に込めた思い、演出や照明を担当する人が表現したいこと、自分自身が作品で伝えたい気持ちを考えながら滑っていたと語っています。

同じプログラムを繰り返すなかで、新しい発見が生まれ、演技の表情が変化することもあります。

羽生さんのトレーニングには、筋力や技術を磨くことに加えて、音楽や物語への理解を深める時間も含まれています。

『RE_PRAY』の横浜公演では、ゲームの世界観を思わせる『破滅への使者』も披露しました。

このプログラムでは、複数の4回転ジャンプや連続ジャンプ、高度なステップを組み合わせています。身体的に厳しい内容でありながら、作品の物語と音楽に合わせて滑り切ることが求められます。

羽生さんは、技術を磨くことと、その技術をどのような物語として届けるのかを考えることを、一体として追求してきたのです。

羽生結弦の豆知識④|子どもの頃は練習が嫌で泣いたことも

現在は非常にストイックな羽生さんですが、幼い頃には練習が厳しく、泣きながらスケートに取り組んでいた時期もあったそうです。後年のインタビューでは、幼い頃と比べて練習そのものを楽しめるようになったと語っています。練習したことが本番でどう生かされるのかを理解できるようになり、日々の積み重ねが楽しさへ変わっていったのです。

2019年の取材では、子どもの頃から変わらないものとして、人に演技を見てもらいたいという気持ちを挙げています。

広いリンクの上を一人で滑り、さまざまな方向から観客に見てもらえる。その楽しさが、羽生さんにとってスケートを続ける大きな原動力になってきました。

人に見てもらう喜びから始まり、やがて練習そのものの面白さを知り、今では自分の理想とする表現のために練習を重ねている。その変化を知ると、羽生さんの競技人生がより身近に感じられます。

5.柔軟性と身体の研究|腹斜筋・筋力・30代のしなやかさ

美しいウエストラインと腹斜筋について本人が語ったこと

羽生さんの演技では、身体のしなやかさが大きな魅力になっています。

指先まで伸びた美しい腕、スピンでの姿勢、滑らかな重心移動、音楽に合わせた上半身の動き。それらは、長年の技術と身体への理解から生まれる表現です。

羽生さんの細く引き締まったウエストラインについては、2019年の『美的.com』の取材で、本人が興味深い説明をしています。

フィギュアスケートは回転する動作が多く、日々の練習を通じてお腹や背中の筋肉が鍛えられてきたと話しました。

さらに、自分は腹斜筋が強いようで、そのためウエストがくびれて見えるらしいという趣旨の発言もしています。

腹斜筋はお腹の側面にある筋肉で、身体をひねる動きにも関わります。フィギュアスケートでは、ジャンプの回転や姿勢のコントロールなど、さまざまな場面で体幹を使います。

羽生さんの場合、美しい身体のラインは、長年のスケート練習と深く関わっていたのです。

この発言が興味深いのは、競技に必要な動きを磨いてきたなかで、自分の身体にどのような特徴が生まれたのかを説明しているところです。

また、ジャンプやスピンのような大きな動きに加えて、音楽に合わせた上半身の使い方や姿勢も、演技の美しさにつながっています。

羽生さんの体型やしなやかさを理解するには、こうした長年の練習内容と身体の使い方を知ることが大切です。

2025年2月の『Echoes of Life』公演後には、身体の柔軟性や関節の可動域を高める新しいトレーニングに取り組んでいることも明かしました。

そこで重視していたのは、身体を大きく動かせるようにすることに加え、その動きを実際の演技で使えるようにすることでした。

身体を大きく動かせるようになれば、表現の幅も広がります。そして、その動きをジャンプやスピン、ステップへつなげるためには、筋力や身体のコントロールも必要になります。

羽生さんは、動きの切り替えの速さや、練習後のリカバリー、しなやかな動作を演技に生かすためのトレーニングについて語っています。

公演期間中にも新しいトレーニングを試し、その感覚を本番の演技へ取り入れていく。羽生さんは、公演を続けながら自分の身体と表現を更新していたのです。

4回転半ジャンプへの挑戦と野村萬斎さんとの身体表現

羽生さんの身体への探究心を象徴するのが、2022年北京オリンピックでの4回転半ジャンプへの挑戦です。

4回転半ジャンプは、前向きに踏み切り、空中で4回転半を行う非常に難しい技術です。

成功させるためには、踏み切りの力、空中での姿勢、回転の速さ、着氷のバランスなどを高い水準で組み合わせる必要があります。

羽生さんは、この挑戦を通じて、筋力とジャンプの感覚をどのように両立させるかを研究してきました。

栗原さんとの対談では、過去の自分の筋力と現在の身体の状態を比較しながら、ジャンプに必要な身体の使い方を考えていたことを語っています。

筋肉だけでなく、腱の働きや踏み切りの際の力の使い方にも関心を向けていました。

北京大会では、4回転半ジャンプに挑戦し、採点表上で4Aとして記録されました。着氷時には転倒し、回転不足も判定されており、成功したジャンプとして認定されたものではありません。それでも、世界最高峰の舞台で新しい技術に挑戦したことは、羽生さんの競技人生を象徴する出来事となりました。

プロ転向後は、ジャンプの難しさとともに、身体全体を使った表現もさらに追求しています。

その大きな転機の一つとなったのが、狂言師・野村萬斎さんとの共演です。

羽生さんと野村さんの縁は、競技時代の代表プログラム『SEIMEI』にさかのぼります。映画『陰陽師』で安倍晴明を演じた野村さんと羽生さんは、2015年に対談を行っていました。

それから約10年の時を経て、2025年3月の『notte stellata』で、実際に同じ舞台に立つことになったのです。

公演では『MANSAIボレロ』と『SEIMEI』を通じて、氷上のフィギュアスケートと日本の伝統芸能が融合しました。

狂言では、舞台に立ったときの姿勢、動き出すまでの間、視線や所作など、身体による表現が大切にされています。羽生さんが氷上で追求してきた指先の動きや姿勢にも、通じる部分があります。

特に『SEIMEI』では、野村さんが舞台上で言葉を発すると羽生さんが姿を現し、演技が始まるという、この共演ならではの演出が行われました。

自分の代表作を、その世界観に深く関わる人物とともに表現する舞台には、特別な緊張感があったことでしょう。

一方、『MANSAIボレロ』では、野村さんの舞と氷上のスケーターたちの動きが呼応し、異なる身体表現を組み合わせた舞台が生まれました。

羽生結弦の豆知識⑤|内村航平さんと氷上・陸上の共演

2023年のアイスショー『notte stellata』では、体操のオリンピック金メダリスト・内村航平さんと共演しました。フィギュアスケートと体操という異なる競技で世界の頂点に立った二人が、一つの舞台で身体表現を組み合わせた貴重な公演です。競技の枠を超えて表現を広げる羽生さんの新しい挑戦となりました。

競技時代に生まれた『SEIMEI』という作品が、約10年後には新しい共演を生み出す。羽生さんの活動には、過去の経験を大切にしながら新しい表現へ発展させていく魅力があります。

6.睡眠・休息・趣味|羽生結弦の心と身体を整える日常

試合や公演に合わせた睡眠と生活リズム

羽生さんの健康習慣を語るうえで、睡眠と休息も大切なテーマです。

競技者時代には、海外遠征や時差、試合日程によって、普段と異なる生活を送ることがありました。

特にオリンピックでは、競技時間に合わせて起床や食事の時間を調整する必要があります。

平昌大会や北京大会では、早朝からの活動に備える必要があり、食事や補食のタイミングを専門家と相談していました。

羽生さんは栗原さんとの対談で、普段の試合では食事を取るタイミングを決めていても、オリンピックではその通りに進められない場合があったと振り返っています。

そこで、競技開始までの時間を逆算し、起床後の準備や食事の量、補食を取るタイミングなどを考えていました。

プロ転向後も、生活の時間配分は重要な課題です。

単独アイスショーでは、リンクでの練習に加え、陸上トレーニング、演出や映像の確認など、さまざまな準備が必要になります。

2024年の『RE_PRAY』に関する取材では、食事や睡眠の時間に気を配りながら、集中的な練習を続けていたことが語られています。

その日の活動量に合わせて、次の日にどのくらい休めるのかを考える必要もありました。

また、羽生さんは練習前のストレッチや、練習後の身体のメンテナンスにも時間を使ってきました。

リンクでの練習を中心に、食事、休息、身体を整える時間を組み合わせて過ごす。そうした日々の生活が、長時間の公演へ向けた準備につながっています。

2025年には、新しいトレーニングを取り入れるなかで、身体の可動域や柔軟性に加えて、練習後のリカバリーについても意識していると語っています。

長時間の公演を続ける現在は、演技を滑り切るための体力とともに、次の公演へ向けて身体を整えることも重要になっているのです。

ゲーム、漫画、アニメ、音楽が好きな素顔

氷上では非常に集中した表情を見せる羽生さんですが、プライベートではゲームや漫画、アニメを楽しむことでも知られています。

2018年の日本記者クラブでの会見では、スケート以外で楽しいと感じることについて質問され、ゲーム、アニメ、漫画、音楽鑑賞などを挙げていました。

好きな作品の世界に入り込んだり、音楽を聴いたりする時間は、羽生さんにとって日常の楽しみになっているようです。

その趣味を一時的に控えて、競技へ集中していた時期もありました。

2018年の平昌オリンピック前には、およそ1か月半にわたってゲームを控えていたことを明かしています。

金メダルを獲得した後、久しぶりにゲームを楽しんだことも報じられました。

本人は、スケートに集中するために、身近な楽しみから距離を置き、自分の技術や感覚を研究する時間を優先していたと説明しています。

好きなことを楽しむ気持ちと、目標へ向かって自分を律する姿勢。その両方を持ち合わせていることが、羽生さんの魅力の一つです。

羽生結弦の豆知識⑥|イヤホンを集めるほどの音楽好き

羽生さんはイヤホンを収集する趣味を持ち、音楽鑑賞が好きだと公言しています。2018年の会見でも、イヤホン収集を自分の趣味として紹介していました。氷上で音楽の細かな変化を身体で表現する羽生さんにとって、音を楽しむことはプライベートでも大切な時間です。

ゲームや物語への関心は、プロ転向後の作品づくりにもつながっています。

『RE_PRAY』では、ゲームの世界観を思わせる構成や、人生の選択、生きることへの問いを取り入れました。

ゲームのなかで選択を重ね、失敗しても再び挑戦するという構造は、長年競技で勝敗や記録と向き合ってきた羽生さんの歩みとも重なる部分があります。

好きな世界を楽しむ時間と、氷上で新しい作品を生み出す時間。その二つが羽生さんのなかで結びつき、独自の表現を育んでいるのでしょう。

7.家族・結婚歴・共演者|羽生結弦を形づくった人々

姉の影響で始めたスケートと家族の支え

羽生さんのスケート人生は、家族との身近な関係から始まりました。

4歳年上の姉が先にスケートを習っており、羽生さんも姉についていく形でリンクへ通い始めたのです。

幼い頃には、姉に追いつきたいという気持ちもあり、練習を重ねていきました。

しかし、少年時代から順調に練習環境が整っていたわけではありません。

地元仙台では、練習拠点だったリンクが閉鎖される時期もあり、思うように練習できない経験もしました。

そうした環境の変化を乗り越えながら、家族や指導者の支えを受け、世界の舞台へと進んでいきました。

2012年にはカナダ・トロントへ練習拠点を移し、ブライアン・オーサーコーチのもとでさらなる技術向上を目指します。

家族の支えを受けながら海外で練習を続けた日々は、後のオリンピック2連覇へとつながりました。

私生活については、2023年8月に自身の公式SNSを通じて結婚を発表し、同年11月には離婚することを公表しています。

離婚発表では、本人や相手、親族、関係者の私生活をめぐる状況を説明し、相手の将来の幸せを願う思いを伝えました。

羽生さんは私生活の詳細を積極的に公開する人物ではありませんが、競技生活やプロ転向後の活動を通じて、家族や関係者への感謝を繰り返し表明してきました。

また、2019年の取材では、自分を支えるものとしてファンからの応援についても語っています。

多くの人が自分を見てくれること、期待してくれることへの感謝が、演技への姿勢を考えるきっかけになっていると説明していました。

羽生さんにとって、家族や指導者、スタッフ、ファンとのつながりは、長い競技人生を通じて大切にしてきたものなのです。

大地真央さんとの共演、震災と故郷への思い

プロ転向後の羽生さんは、フィギュアスケートの枠を超えた表現者との共演にも取り組んできました。

2024年の『notte stellata』では、俳優の大地真央さんと共演しています。

二人が披露したのは、壮大な音楽『カルミナ・ブラーナ』を使った舞台表現でした。

長年舞台で活躍してきた大地さんと、氷上で身体表現を追求してきた羽生さん。異なる分野で活躍してきた二人が、一つの世界観を作り上げました。

こうした共演は、羽生さんがプロとして表現の幅を広げていく大切な機会にもなっています。

また、『notte stellata』という公演には、羽生さんの故郷・仙台への深い思いも込められています。

2011年3月11日の東日本大震災で、当時16歳だった羽生さんは仙台で被災しました。日常生活や練習環境が大きく変化するなかで、スケートを続けることの意味についても考えるようになったと語っています。

公演名の『notte stellata』はイタリア語で「満天の星」を意味し、震災後の夜に見上げた星空の記憶と結びついています。

羽生さんはその後も故郷への思いを大切にしながら、フィギュアスケートを通じて自分が感じてきたことを表現してきました。

美しい演技の背景には、競技人生で経験した喜びや悔しさ、故郷で過ごした日々、そして周囲の人々とのつながりがあります。

羽生結弦の豆知識⑦|東京ドーム『GIFT』はスケートと物語の融合

2023年2月、羽生さんは東京ドームで単独アイスショー『GIFT』を開催しました。特徴的だったのは、羽生さん自身の思いや物語を、演技だけでなく、大規模な映像や照明、音楽と組み合わせたことです。東京ドームという広大な空間を一つの作品の舞台へと変え、フィギュアスケートの新しい見せ方を提示しました。

羽生さんが長年大切にしてきた故郷への思いは、プロ転向後の作品にも受け継がれています。

自分が経験してきたことを氷上で表現し、観客に届ける。その取り組みには、競技成績だけでは語り尽くせない羽生さんの人生観が表れています。

8.31歳の羽生結弦|2026年も続く身体づくりと挑戦

30代になっても追求する、新しい身体の可能性

2024年12月に30歳を迎え、2026年10月現在は31歳となった羽生さん。

競技時代に身につけた高度なジャンプ技術を維持しながら、現在も新しい身体の使い方を研究しています。

2024年12月から2025年2月にかけて行われた『Echoes of Life』では、埼玉、広島、千葉の3都市で7公演を開催しました。

この公演では、羽生さんが原作を担当し、演出はMIKIKOさんが手がけています。

物語の主人公は、たった一人生き残ったNovaという存在です。自分が生きる意味を探す旅を通じて、生命や孤独、希望について描いています。

羽生さんは、この物語に合わせて12のプログラムを一人で披露しました。

クラシック音楽に加えて、アニメやゲームの楽曲も使用され、競技会とは違った幅広い表現が求められました。

2025年2月の最終公演では、競技時代の代表プログラム『バラード第1番』も披露しています。

公演後の取材では、新しいトレーニングに取り組み、柔軟性や可動域、身体の動かし方をさらに磨いていたことを説明しました。

30歳になっても、自分の身体が変化することを前向きに捉え、まだ新しい可能性があると感じていたのです。

競技会では、ジャンプの難度や技術、演技構成などが得点として評価されます。

一方、プロとして活動する現在は、観客にどのような世界を届けるのか、物語をどう表現するのか、長時間の公演をどう滑り切るのかという新しい課題があります。

そのため、筋力や柔軟性だけでなく、持久力、集中力、身体の使い方など、さまざまな要素を高めることが求められます。

羽生さんは、これまで培ってきた技術を基礎にしながら、現在の身体で実現できる表現をさらに広げようとしています。

『REALIVE』で見せる2026年の新しい挑戦

2026年4月、羽生さんは故郷宮城で『Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project』を開催しました。

過去に生み出してきた演目を、現在の身体と感性でもう一度表現するという試みは、競技人生とプロとしての活動をつなぐものです。

さらに、2026年11月28日と29日には、佐賀県のSAGAアリーナで公演が予定されています。

公式サイトでは、これまで生み出してきたプログラムを、今の身体を通じて新たに届けるという羽生さんの思いが紹介されています。

演出を担当するMIKIKOさんとともに、これまで歩んできた軌跡を現在の身体で表現する公演となります。

競技時代の代表作には、それぞれの大会で感じてきた喜びや悔しさ、練習を重ねてきた時間が込められています。

その演目を31歳の現在の身体で滑ることには、かつての自分と向き合い、新しい自分を表現する意味もあるのでしょう。

スケートの技術を磨くことに加え、音楽や舞台演出を組み合わせるところまで、自分の表現を広げている羽生さん。

その中心には、今の身体で何を表現できるのかという問いがあります。

羽生結弦の豆知識⑧|30歳の誕生日に新しい物語が開幕

『Echoes of Life』の初日が開催されたのは、2024年12月7日。羽生さんが30歳を迎えた誕生日でした。20代の競技人生とプロ転向後の活動を経て、30代の最初の日に新しいアイスストーリーを披露したという、人生の節目にふさわしい出来事です。

羽生結弦さんの美容法や健康習慣を振り返ると、長年変わらない姿勢と、年代によって変化してきた工夫の両方が見えてきます。

スキンケアでは、化粧水の清涼感や香りを楽しみながらも、日常では自然体な考え方を語っています。

食生活では、17歳の頃から栄養を学び、食べるタイミングや量、身体の感覚まで考えるようになりました。

トレーニングでは、オリンピック2連覇を達成した後も技術を磨き続け、プロ転向後の新しい活動に合わせて身体の使い方を見直しています。

さらに、家族や専門スタッフ、共演者たちとの関係を通じて、新しい知識や表現を取り入れてきました。

羽生さんが語ってきたように、フィギュアスケートは言葉を超えて人に思いを届けられる表現手段でもあります。

その表現を支えているのは、日々の食生活やトレーニング、身体への理解、そして演技を見てくれる人への思いです。

31歳となった今も、羽生結弦さんは新しい可能性を探し続けています。これから生まれる作品とともに、その美容観や食生活、身体づくりへの考え方がどのように進化していくのか、今後の活動にも注目です。

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