映画『秋刀魚の味』『心中天網島』『はなれ瞽女おりん』、そして『極道の妻たち』シリーズ。清楚で気品に満ちた女性から、激しい情念を秘めた人物、圧倒的な存在感を放つ女性まで、数々の役柄を演じてきた日本映画界を代表する女優・岩下志麻さん。美しい着物姿、すっと伸びた背筋、落ち着いた佇まいは、長年にわたって多くの人を魅了してきました。
1941年1月3日、東京都に生まれた岩下さんは、2026年に85歳を迎えました。父は俳優の野々村潔さん、母は山岸美代子さん。両親ともに演劇の世界で活動する家庭に育ち、17歳だった1958年にNHKドラマ『バス通り裏』で女優デビュー。1960年には松竹に入社し、木下惠介監督の『笛吹川』や篠田正浩監督の『乾いた湖』など、映画の世界へと活躍の場を広げました。
1962年には小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』に出演。その後も『五瓣の椿』『鬼龍院花子の生涯』『疑惑』などで存在感を発揮し、篠田正浩監督の『はなれ瞽女おりん』では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。1986年の『極道の妻たち』では、強い意志と迫力を持つ女性を演じ、新しい代表作を生み出しています。2004年には紫綬褒章、2012年には旭日小綬章を受章しました。
私生活では1967年に映画監督の篠田正浩さんと結婚。一人娘を育てながら、夫婦で数々の映画制作に取り組んできました。2025年3月に篠田監督が亡くなるまで、58年間にわたる結婚生活を送っています。
華やかな女優人生を歩んできた岩下さんですが、美容への意識が大きく変わったのは31歳のときでした。20代には仕事の疲れからメイクを落とさず眠ってしまい、肌荒れに悩んだ経験もあったそうです。それをきっかけにダブル洗顔や朝晩のスキンケアを習慣化し、50年以上にわたって続けてきました。
60代で訪れた中国・北京では太極拳と出会い、20年以上にわたる運動習慣につながりました。85歳の現在は気功やストレッチを取り入れ、身体の変化に合わせた健康管理を続けています。食生活では豆腐やもずくを好み、気持ちを整えるマントラ瞑想や、大好きな阪神タイガースを応援する時間も楽しんできました。
また、忙しい女優生活と子育てを両立し、年齢を重ねてからは自宅のリフォームや思い出の品の整理にも取り組んできました。趣味の陶芸、着物へのこだわり、娘や孫たちとの交流にも、スクリーンで見せる姿とは違う親しみやすい素顔があります。
今回は本人インタビューや公式資料をもとに、岩下志麻さんの美容法、スキンケア、愛用品、食生活、運動習慣、趣味、家族との関係、そして85歳現在の健康への考え方まで、長い人生の歩みとともに詳しく紹介します。
1.岩下志麻の美容観|31歳から始まった50年以上の美の習慣
20代の肌荒れから、美容を大切にする毎日へ
岩下志麻さんの美容への意識が大きく変わったのは、31歳のときでした。
2023年の『美ST』のインタビューで岩下さんは、20代には仕事が忙しく、メイクを落とさずに眠ってしまうこともあったと振り返っています。当時はニキビや肌荒れに悩み、スキンケアについても現在ほど丁寧に取り組んでいなかったそうです。
若い頃から映画やテレビドラマの撮影現場で多忙な日々を送っていた岩下さん。撮影を終えて帰宅したときには、疲れが勝ってしまう日もあったのでしょう。スクリーンの中では美しく整った姿を見せながら、私生活では肌のお手入れに苦労することもあったという話には、意外な親しみやすさがあります。
そんな生活が変わるきっかけとなったのが、メナード化粧品のイメージモデルへの起用でした。
化粧品会社の顔として活動する以上、自分自身の肌にもきちんと向き合いたい。そう考えた岩下さんは、それまでの生活を見直し、ダブル洗顔と朝晩のスキンケアを習慣にしました。
仕事でどれほど疲れていても、メイクを丁寧に落としてから休む。朝には肌を整えて一日を始める。こうした生活を続ける中で、本人は肌の状態が変わっていくことを実感したと語っています。
美容を始めたきっかけは仕事でしたが、続けるうちに自分自身の楽しみにもなっていきました。長年親しんだお手入れが、一日の始まりと終わりを整える日課になったのです。
2023年の取材では、毎年行われる化粧品会社のカレンダーや年賀状の撮影も、美容を続ける励みになっていたと話しています。撮影の機会があることが、普段から自分を大切にしようという気持ちにつながっていたのでしょう。
新しいことに関心を持ち、よい習慣を長く続ける
岩下さんは、使い慣れた化粧品を長く愛用する一方、新しい商品や美容への考え方にも関心を持ってきました。
2023年のインタビューでは、新製品を試すことが楽しみだったと振り返っています。
長年モデルを務めてきた企業が新しい商品や技術に挑戦する姿を見て、自分も前向きに努力を続けたいと感じることがあったそうです。
岩下さんの生活には、興味を持ったことを実際に試し、気に入ったものを自分の日常へ取り入れるという姿勢があります。後に太極拳を始めたときも、北京の公園で見かけた光景が心に残り、帰国するとすぐに教室を探しました。
美容、運動、暮らしの工夫。分野は違っても、自分に合うものを見つけ、長く続けていこうとする考え方が共通しています。
また、岩下さんは年齢を重ねることについても率直に語っています。2023年の取材では、年齢による変化への悩みを感じながらも、健康であることを大切にし、毎日の生活の中で楽しみを見つけたいという思いを明かしました。
若い頃の自分を大切な思い出として持ちながら、今の自分に合うお手入れを楽しむ。長年人前に立ってきた岩下さんの美容観には、年齢とともに深まってきた落ち着きが感じられます。
岩下志麻さんの豆知識①|1961年、篠田正浩監督作品で新人賞を受賞
岩下さんは1961年、篠田正浩監督の映画『わが恋の旅路』に出演し、同年度のブルーリボン賞新人賞を受賞しました。すでに松竹の若手女優として活躍していた時期の重要な作品であり、後に夫となる篠田監督との仕事上の関係が深まっていくきっかけの一つとなりました。
2.スキンケアと愛用品|ダブル洗顔・保湿・顔と首のマッサージ
朝と夜のお手入れを生活に合わせて
岩下さんが長年続けてきた美容習慣の基本は、メイクを丁寧に落とし、朝晩のお手入れを欠かさないことです。
2023年の『美ST』では、実際に行っていたスキンケアの流れが詳しく紹介されています。
朝は薬用プレローションをコットンに取り、下から上へなじませ、その後に美容液などを重ねる方法です。本人が使用しているものとして紹介されたのは、メナードの薬用ビューネ、オーセント リクイド、薬用ベースエッセンスなどでした。
夜はマッサージクリームを使って、顔だけでなく首まで丁寧にお手入れします。その後に美容液などを重ね、就寝前にはクリームで仕上げるという流れでした。
女優という仕事では、役柄によってさまざまなメイクを施し、長時間撮影を行うことがあります。仕事を終えた後も、自分の肌と向き合い、その日のスキンケアを終えてから休む。そんな習慣が、若い頃の経験を経て身についていきました。
毎日の洗顔や保湿は、撮影のある日だけの特別な美容法ではなく、日常生活に自然になじんだお手入れです。岩下さんが長年続けてきた方法には、自分が使い慣れたものを丁寧に取り入れるという特徴があります。
夜のクリームを忘れると、ベッドから起き上がる
岩下さんの美容に関する話の中でも、特に印象的なのが就寝前のクリームへのこだわりです。
2023年の取材では、最後のクリームを塗り忘れたままベッドに入ってしまうと、もう一度照明をつけて塗りに戻ることがあると明かしています。
それほどお手入れが暮らしの一部になっているのです。
本人の愛用品として紹介されたのは、メナードのオーセント クリームⅡ。岩下さんにとって、クリームを塗る時間は、肌をいたわりながら一日を締めくくる心地よいひとときでもありました。
朝から仕事や用事で忙しく過ごした日にも、自分自身に向き合う時間を持つ。50年以上続けてきた美容習慣には、そうした暮らしのリズムが息づいています。
1989年からの愛用品と、夫婦の美容エピソード
岩下さんが長年愛用してきたものの一つが、1989年に発売された薬用ビューネです。
2023年の取材では、発売直後から使い続けてきたことを紹介しています。
さらに興味深いのは、岩下さんのスキンケア用品が家庭の中でも親しまれていたことです。
岩下さんは、当時90歳を超えていた夫・篠田正浩さんの肌についても触れ、夫婦で美容用品を使う暮らしの一面を紹介しています。
仕事を通じて始まった美容習慣が、長い結婚生活の中で家族にもなじんでいたことがうかがえます。
同じ取材では、日焼け止めを使用した後、フェイスパウダーを重ねることも紹介されました。フェアルーセント 薬用プレストパウダーなど、本人の使用が紹介された商品もあります。
長年モデルを務めてきた化粧品会社の商品ではありますが、これらは本人取材において実際の使用が紹介されたものです。岩下さんの美容習慣を知るうえで、具体的なお手入れの流れがわかる貴重な情報といえるでしょう。
肌のお手入れを楽しみながら、自分に合うものを長く使い続ける。その姿勢が、50年以上にわたる美容生活の基盤になっています。
髪と体形の変化も自然に受け止める
岩下さんは2021年の『週刊女性PRIME』のインタビューで、80歳当時、白髪があまり目立たないことについて尋ねられています。
そのとき岩下さんは、自分の母親も80歳を過ぎてから白髪が目立ち始めたと振り返り、自分もこれから変化していくのではないかと自然な口調で答えていました。
髪の状態を家族との共通点として受け止めているところにも、岩下さんらしい落ち着きが感じられます。
また、同じ2021年の取材では、40年ほど体形や体重が大きく変わっていないとも語っています。本人は太りにくい体質であることにも触れており、自分自身の身体の特徴を理解しながら暮らしてきたことがうかがえます。
年齢を重ねる中で、肌や髪、体形について感じることも変わっていきます。岩下さんはそうした変化と向き合いながら、長年続けてきた美容習慣を大切にしてきました。
岩下志麻さんの豆知識②|大女優にも意外な苦手分野がある
映画では強い意志を持つ女性を堂々と演じてきた岩下さんですが、過去のインタビューでは、トークショーのように素の自分として人前で話す場に苦手意識があると語っています。役になりきる演技と、自分の言葉で話すことには、それぞれ違った緊張があるようです。
3.太極拳から気功へ|60代から85歳まで続く運動習慣
北京の公園で出会った太極拳
岩下志麻さんが太極拳を始めたのは、60代の頃でした。
家族旅行で中国・北京を訪れ、朝早く公園を散歩していたとき、ゆっくりとした動きで太極拳を行う人々の姿が目に入りました。
一つひとつの動作は穏やかなのに、姿勢や手足の運びには独特の美しさがあります。その光景に興味を持った岩下さんは、帰国すると太極拳を学べる教室を探し、週1回のレッスンを始めました。
実際に取り組んでみると、ゆっくり片足を上げたり、身体の重心を移したりする動作には、想像以上の難しさがありました。
身体を速く動かす運動とは違い、一つひとつの姿勢を意識しながら、ゆったりと動く。岩下さんは太極拳を通して、身体を安定させることの難しさや、姿勢の大切さを実感したそうです。
続けるうちに、本人は体幹や体力についても変化を感じるようになりました。
映画やドラマでは、役柄によって歩き方や立ち方、手の動かし方まで変えることがあります。身体の使い方に意識を向ける太極拳は、長年女優として活動してきた岩下さんにとっても興味深い運動だったのでしょう。
米倉涼子さんも体験した太極拳
太極拳を続ける中では、共演者との楽しい交流もありました。
女優の米倉涼子さんとドラマで共演した際、休憩中にも背筋を伸ばしている岩下さんを見た米倉さんが、その姿勢について尋ねたそうです。
岩下さんが太極拳を続けていると話すと、米倉さんも興味を示しました。
そこで岩下さんは先生に相談し、米倉さんを一日体験のレッスンへ案内しました。
米倉さんはおしゃれな服装で参加し、レッスン後には二人でお茶を飲んだそうです。そのときは特に疲れた様子もなく、岩下さんは少し物足りなかったのかもしれないと感じていました。
ところが後日、米倉さんが翌日に筋肉痛になったと語っていたことを知り、岩下さんは驚いたといいます。
ゆったりとした動きの中にも、身体をしっかり使う場面がある。太極拳の奥深さと、女優同士の親しみやすい交流が伝わるエピソードです。
コロナ禍にも運動を続け、85歳の現在は気功へ
長年続けてきた太極拳でしたが、2020年のコロナ禍には教室が閉鎖され、これまでのように通えなくなりました。
岩下さんは先生にオンラインでの指導を提案し、ほかの参加者の賛同も得て、Zoomを使ったレッスンが始まりました。
2021年の取材では、以前からSkypeなどの通信サービスを利用していたことも明かしています。新しい技術を柔軟に取り入れる姿勢が、長年の運動習慣を支えていたのです。
コロナ禍をきっかけに気功も始め、しばらくは太極拳と気功の両方を続けていました。
その後、年齢と体力を考え、気功を中心にすることを選びました。
2026年の『文藝春秋』で本人が語ったところによると、自宅で週1回、1時間半のオンラインレッスンを続けています。
岩下さんは気功について、自分の身体や呼吸に意識を向ける時間として大切にしていることを語っています。
60代で出会った太極拳から、85歳現在の気功へ。身体の変化を受け止めながら、自分に合った運動方法を選んできた歩みには、長く健康習慣を続けるための柔軟な考え方があります。
岩下志麻さんの豆知識③|コロナ禍はLINEで娘と頻繁に交流
2021年の取材では、感染拡大を避けるため娘一家との食事や旅行を控えていたことを明かしています。その一方、娘とはLINEで頻繁にやり取りをしていたそうです。家族と直接会う機会が減った時期にも、通信機器を使ってつながりを大切にしていました。
4.朝晩のストレッチと暮らしの工夫|85歳の健康管理
朝7時頃、ベッドの上で始める体操
岩下さんは、週1回の気功に加え、日常生活でも身体を動かすことを大切にしています。
2023年の『美ST』では、朝7時頃に起き、ベッドの上で約10分間の体操を行うと語っていました。
手足を伸ばしたり、身体を持ち上げたり、手足をぶらぶら動かしたりするもので、本人は意外としっかり身体を使う運動だと感じていたそうです。
2026年の取材でも、朝に白湯を飲み、ベッドの上でストレッチを続けていることを明かしています。
朝、身体を動かす時間を設けてから一日を始めることが、岩下さんの暮らしのリズムになっています。
また、夜にも軽く身体を動かしてから休む習慣があり、一日の始まりと終わりに、自分の身体へ意識を向ける時間を持っています。
2026年には、転倒して膝を傷めた経験についても率直に語っています。その後は回復したと説明し、自分の体調に合わせて運動を続けていました。
長年身体を動かしてきた岩下さんも、年齢による変化と向き合っています。日々の状態を確かめながら、今の自分に合う運動を続ける姿勢がうかがえます。
2019年の自宅リフォームで暮らしやすさを見直す
健康を考えた暮らしの工夫として、2019年の自宅リフォームも重要なエピソードです。
当時、築33年だった自宅は、もともと両親や娘、住み込みのお手伝いさんも暮らす大家族の住まいでした。家族構成が変わるにつれ、使わなくなった部屋や広すぎる空間が増えていったそうです。
また、篠田監督は90歳を間近に控えていました。
そこで岩下さんは、夫が階段を頻繁に上り下りしなくても済むよう、書斎を1階へ移すなど、これからの生活を考えた工夫を行いました。
一方、岩下さん自身の部屋は2階に残しています。日常生活で階段を使うことも、自分にとって身体を動かす機会になると考えていたためです。
2021年の取材では、階段を使う回数を増やすため、用事をあえて一度に済ませず、何度かに分けて上り下りすることもあると語っています。
たとえば2階から持ってくるものがいくつかあっても、一度に全部を運ばず、何度かに分けて取りに行く。普段の生活の中に、自分なりの運動の機会を作っていたのです。
夫の生活では身体の負担を減らし、自分自身は日常の移動を運動に取り入れる。家族それぞれの年齢や暮らし方に合わせて住環境を整えようとしていたことがわかります。
100枚ほどの着物と、夫婦で歩んだ映画人生の資料整理
自宅のリフォームでは、長年ためてきた品々の整理も大きな仕事になりました。
岩下さんの着物は約100枚。着物に合わせて作った帯や草履、バッグなども多く、何を残し、何を人に譲るかを決めるのは大変だったそうです。
映画祭で着用した思い出の着物など、特別な意味を持つものは大切に残しました。一方、使ってもらえるものは、着物好きの知人や関係者などに譲りました。
さらに、長年の映画制作で保管していた台本、スチール写真、ポスター、パンフレット、録画した映像なども膨大な量になっていました。
これらを整理する際、懐かしい資料を見つけると篠田監督に声をかけ、二人で当時の思い出を語り合ったそうです。
忘れていた出来事がよみがえり、若い頃の撮影の思い出や、夫婦で作り上げてきた映画について話す時間になりました。
一部の資料は事務所に保管し、映画関係の資料は松竹大谷図書館へ寄贈しています。
住まいを整えることが、夫婦で歩んできた人生を振り返る機会にもなったのです。長年大切にしてきた品を眺めながら、思い出を語り合う時間は、岩下さんにとって忘れがたいものだったのでしょう。
岩下志麻さんの豆知識④|結婚式の打ち掛けは7人の女性の門出にも
岩下さんが結婚式で着用した打ち掛けは、特別な思い出の品として大切に保管されてきました。本人の取材では、その打ち掛けを親しい女性7人の結婚式でも使ってもらったことを明かしています。大切な衣装が、ほかの人の晴れの日にも彩りを添えてきたという、心温まるエピソードです。
5.食生活|豆腐・もずく・1日3食と家族のための献立づくり
夫の好物だった豆腐が、毎日の大切な食材に
岩下さんが長年親しんできた食材の一つが豆腐です。
2021年のインタビューでは、夫の篠田正浩さんが豆腐好きで、夫に付き合って食べているうちに、自分自身も豆腐が大好きになったと語っています。
湯豆腐や冷ややっこといったシンプルな料理に加え、揚げ豆腐、あんかけ豆腐、麻婆豆腐、炒め物など、さまざまな料理で楽しんできました。
夫婦で同じものを食べるうちに、自分も自然と好きになる。豆腐は、長い結婚生活の中で食卓に根づいていった食材でした。
2023年の取材でも豆腐を毎日食べると話しており、長年続いてきた習慣だったことがわかります。
豆腐と並んで親しんできたのが、もずくです。2023年の『美ST』では、刻んだ生姜とお酢を合わせ、ご飯にのせることもあると紹介しています。2021年にはトマトも好んで食べる食材として挙げていました。
好きな食材を日々の献立に取り入れ、いろいろな料理で楽しむ。岩下さんの食生活には、長く親しんできた味を大切にする姿勢が感じられます。
撮影で遅く帰っても、翌日の献立は自分で考える
岩下さんの食生活を語るうえで、家庭での献立づくりは欠かせません。
結婚後、篠田監督は岩下さんが女優の仕事を続けることを尊重し、家事に追われず仕事へ集中できる環境を大切にしていました。
そのため、料理そのものは周囲の手を借りることもありましたが、毎日の献立は岩下さん自身が考えてきました。
撮影で遅く帰宅した日にも、翌日の献立を考えて冷蔵庫に貼っておく。魚、肉、野菜を組み合わせ、食卓にさまざまな食材が並ぶように意識していたそうです。
2021年の取材では、献立を考えることは自分で行いたかったと振り返っています。
忙しい女優生活の中でも、家族が何を食べるかを考えることに、自分なりの役割と責任を感じていたのでしょう。
2023年には1日3食を欠かさないことも自身の習慣として紹介しています。毎日の食事を大切にし、好きなものを楽しみながら献立を整える姿勢が、長年の暮らしに息づいています。
体形の変化と、夫婦で囲んだ食卓の思い出
2021年の取材では、岩下さんは40年ほど体形や体重が大きく変わっていないと語っています。
本人は太りにくい体質であることにも触れながら、日々の食事についても紹介していました。
好きな食材を楽しみ、魚や肉、野菜を組み合わせた献立を考える。食事そのものを大切にしてきた生活がうかがえます。
こうした食生活の背景には、篠田監督との長い結婚生活がありました。
夫の好物だった豆腐が自分の好物になり、家族の献立を考え、毎日同じ食卓を囲む。そうした時間は、映画監督と女優という仕事上の関係とは別に、夫婦の日常をつないできたものでした。
2025年に篠田監督が亡くなった後、岩下さんは一緒に食事をしていた人が隣にいなくなった寂しさを語っています。
長年繰り返してきた食卓の風景ほど、深く心に残るものなのかもしれません。
岩下さんの食生活をたどることは、夫婦で築いてきた暮らしの歴史を知ることにもつながります。
岩下志麻さんの豆知識⑤|娘の卒業旅行は花屋のアルバイト代で
岩下さんの娘は、大学の卒業旅行の費用を花屋でアルバイトして貯めたお金でまかなったそうです。2021年の取材で岩下さんは、娘が早くから自分のことを自分で決めるようになったと振り返っています。自分の力で旅行の費用を準備した娘の姿に、家族の教育方針が感じられます。
6.瞑想・休息・趣味|心の楽しみと女優としての仕事術
食事前の瞑想と、阪神タイガースを応援する楽しみ
岩下さんは身体を動かす習慣に加え、気持ちを整える時間も大切にしてきました。
2023年の『美ST』では、食事前にマントラを唱えながら瞑想することを明かしています。
瞑想中には、さまざまな考えが浮かんでくることもあるそうです。岩下さんはそうした思いを自然に受け止め、そのまま瞑想を続けることで、気持ちが落ち着く感覚を大切にしていると語っています。
映画やドラマでは、作品ごとに異なる人物の人生を演じてきた岩下さん。多くの人と関わる撮影現場とは別に、静かに自分自身へ意識を向ける時間を持つことも、日常の一部になってきました。
一方で、気分転換には思いきり楽しむ時間もあります。
岩下さんは熱烈な阪神タイガースファンです。2023年のインタビューでは、自分の部屋で試合を観戦し、テレビに向かって大きな声で応援する時間が楽しいと語っています。
さらに、阪神の選手がホームランを打った日には、夜になってスマートフォンでもう一度その場面を再生することもあるそうです。
嬉しかった出来事をもう一度楽しみ、よい気分で眠りにつく。そんな日常の小さな楽しみを持っているところに、岩下さんの親しみやすい素顔が感じられます。
スマートフォンも日常生活によくなじんでいるようです。2023年には、スマートフォンが見当たらないと家中を探してしまうほど、普段からよく使っていると話していました。就寝前にニュースを確認することもあったそうです。
静かな瞑想の時間と、野球を夢中で応援する時間。どちらも岩下さんにとって、自分らしく一日を過ごす大切なひとときなのでしょう。
陶芸と着物、ものづくりを楽しむ生活
岩下さんは長年、陶芸を趣味にしています。
2026年5月の『女性自身』の取材では、自作の湯飲みで記者にお茶を勧めたことが紹介されました。
映画の撮影現場では監督やスタッフと協力し、一つの作品を完成させます。一方、陶芸では自分の手で土に触れ、形を作るという違った創作の楽しみがあります。
女優として長年活動してきた岩下さんにとって、陶芸は仕事とは別の形でものづくりに親しむ時間になっているのでしょう。
また、着物への関心も深く、長年着物のモデルを務めるだけでなく、1999年には「きもの志麻」ブランドを発表し、自らデザインを手がけた経験もあります。
着物を美しく着こなすことと、装いそのものを考えること。どちらにも関わってきた岩下さんの歩みには、日本の伝統的な美しさへの関心が表れています。
2019年の自宅リフォームでは、大切にしてきた着物を整理することにもなりましたが、思い出のあるものは手元に残し、使ってもらえるものは次の人へ託しました。
好きなものを大切にしながら、暮らしの変化に合わせて整理する。長い人生を重ねてきた人ならではの、ものとの付き合い方が感じられます。
台詞を声に出し、書いて覚える女優としての工夫
岩下さんの健康と生活習慣を知るうえでは、女優としての仕事への向き合い方も興味深いものがあります。
2021年の『文春オンライン』のインタビューで、岩下さんは若い頃と年齢を重ねた後では、台詞の覚え方が変化したことを語っています。
若い頃は、台本を2、3回読むだけで台詞が自然に頭へ入ってきたそうです。しかし、年齢を重ねてからは、覚えるために以前より時間をかけるようになりました。
そこで続けてきたのが、声に出して繰り返し読む方法です。
最初は台本を一冊通して読み、作品全体の流れや場面の強弱を理解します。その後、撮影スケジュールが決まると、必要な場面の台詞に集中して練習していきます。
撮影前には、事務所の人に相手役の台詞を読んでもらい、会話の受け渡しを確認することもあるそうです。
さらに、覚えにくい台詞や言いにくい言葉があるときには、実際に書いて覚える工夫もしています。
自分の言葉のリズムと台本のリズムが合うまで、繰り返し練習する。長年女優として仕事を続けてきた岩下さんの、丁寧で真剣な姿勢が伝わります。
若い頃の経験を大切にしながら、今の自分に合った覚え方を工夫する。その姿は、太極拳から気功へと運動習慣を変えてきた歩みにも通じています。
年齢とともに仕事の方法を工夫し、自分自身の表現を磨き続けること。岩下さんの女優人生には、こうした日々の積み重ねがありました。
岩下志麻さんの豆知識⑥|娘のおひな様に、翌年会いに行った
娘が生まれた際に贈られた七段飾りのひな人形も、自宅の整理で手放すことになりました。近くの保育園へ寄贈したものの、翌年のひな祭りには寂しくなり、園に飾られた人形を見に行ったそうです。大切な品を次の人に譲りながらも、思い出を大切にする岩下さんの人柄が伝わるエピソードです。
7.夫・篠田正浩、娘、孫との暮らし|仕事と家族を大切にした人生
19歳で出会った篠田正浩監督と、マンボを踊った夜
岩下志麻さんと篠田正浩監督の出会いは、1960年の映画『乾いた湖』に関わる仕事でした。
当時19歳だった岩下さんと、新進気鋭の監督だった篠田さんは、映画制作を通じて知り合いました。
その後、1964年の映画『暗殺』の打ち上げで、二人はマンボを踊ることになります。
2024年の『婦人公論』で岩下さんは、そのとき突然、篠田監督と結婚するような予感がしたと振り返っています。
思わずその気持ちを本人に伝えると、篠田監督は驚いて席へ戻ってしまったそうです。
当時の岩下さんには結婚願望がほとんどなく、篠田監督への気持ちも恋愛というより尊敬に近かったといいます。それだけに、突然生まれた予感は本人にとっても不思議な出来事でした。
二人は1967年に結婚。その後、独立プロダクション「表現社」を設立し、『心中天網島』『卑弥呼』『はなれ瞽女おりん』など、監督と女優として数々の作品を生み出していきました。
夫婦でありながら、映画制作に情熱を注ぐ仕事上のパートナーでもある。そんな関係が、長い結婚生活を特徴づけていました。
結婚と出産を経ても、女優として仕事を続ける
1960年代、結婚した女優が仕事を続けることは、現在ほど一般的ではありませんでした。
しかし、篠田監督は岩下さんが女優として活動を続けることを尊重していました。
岩下さんは、篠田監督が女優を辞めるように言わなかったことも、結婚を決める理由の一つだったのかもしれないと語っています。
2024年の『婦人公論』では、家庭を仕事の疲れを休める場所にしようという夫の考えも振り返っています。
撮影現場では監督と女優として真剣に向き合い、家庭では夫婦として穏やかに過ごす。そのような関係を大切にしてきました。
1973年には一人娘が誕生しました。
2024年の取材で岩下さんは、出産からわずか10日後に次の作品の台本を渡されたことを振り返っています。
当時は母親が幼い子どもを残して仕事を続けることへの理解が十分ではなく、岩下さん自身も悩むことがありました。
娘の世話をお願いしていた人から、仕事を辞めて母親に専念した方がよいのではないかと言われたこともあったそうです。
しかし、篠田監督は岩下さんが女優を続けることを支えました。
仕事への情熱を持ちながら、母親として娘の成長も見守りたい。その両方を大切にしようとする中で、岩下さんは自分らしい働き方と家庭生活を築いていったのです。
撮影後は娘を抱きしめ、学校行事にも参加
岩下さんは、撮影が終わって帰宅すると、娘を抱きしめて愛情を伝えていたと語っています。
2020年の『女性自身』では、仕事から戻って娘に抱きつくことで、撮影の疲れを忘れられたという思い出を紹介しています。
娘が小学校高学年になる頃には、母親から抱きつかれることを恥ずかしがるようになったという、微笑ましい話もありました。
また、運動会、学芸会、授業参観などにも積極的に参加していたそうです。
映画の撮影現場では強い女性や激しい感情を持つ人物を演じ、家庭では娘を大切に思う母親として過ごす。そんな二つの顔が、岩下さんの日常にありました。
2021年の取材では、篠田監督は挨拶や箸の持ち方など、礼儀に厳しい父親だったことも語っています。
岩下さんは娘への愛情を言葉や行動で伝え、篠田監督は礼儀や自立を大切にする。夫婦それぞれの考え方が、娘の成長を支えてきたのでしょう。
娘家族との二世帯生活に感じる幸せ
2023年には、娘家族と二世帯住宅で暮らし始めたことを明かしています。
夕方になると、娘や孫たちが帰宅して部屋に明かりがつく。その光景を見るだけで幸せな気持ちになると語っていました。
長年、映画やドラマの撮影現場で多忙な日々を送ってきた岩下さんにとって、家族が近くにいることは大きな喜びになっていたのでしょう。
2020年には、二人の孫から「志麻ちゃん」と呼ばれていることも明かしています。
スクリーンでは厳かな女性を演じる岩下さんも、家庭では親しみやすい祖母として過ごしてきました。
家族で旅行を楽しむことも大切にしており、結婚50周年の節目には娘一家と京都を訪れた思い出もあります。
結婚式を挙げた大徳寺高桐院へ足を運ぼうとしましたが、当時は修復中で中に入れなかったそうです。
夫婦の思い出の場所を、子どもや孫とともに訪ねる。家族の時間を重ねてきた岩下さんらしい出来事です。
岩下志麻さんの豆知識⑦|『卑弥呼』のメイクに娘がびっくり
1974年の映画『卑弥呼』では、役作りのために眉毛をそり、独特のメイクを施しました。その姿で帰宅すると、幼い娘が普段の母親と違う顔に驚き、泣いてしまったことがあったそうです。女優の仕事と母親としての暮らしが交差した、忘れられない思い出です。
8.85歳の現在とこれから|夫との別れを経て続ける女優人生
58年間連れ添った夫との別れ
2025年3月25日、岩下さんの夫で映画監督の篠田正浩さんが94歳で亡くなりました。
1967年に結婚してから58年間。家庭を築き、娘を育て、映画制作にもともに取り組んできた相手との別れは、岩下さんにとって非常に大きな出来事でした。
2026年の『女性自身』のインタビューでは、篠田監督の死後、食事を十分に取れなくなった時期があったことを率直に語っています。
長年一緒に食卓を囲んできた夫が、もう隣にいない。毎日の何気ない時間ほど、その不在を強く感じることがあったそうです。
悲しみが深かった時期には、食事が十分に取れず、医療機関へ点滴を受けに行くこともあったと明かしています。
華やかな女優としての姿とともに、一人の妻として深い悲しみを経験していることも、現在の岩下さんを理解するうえで大切な背景です。
長年ともに歩んできた夫との思い出は、映画作品にも、家庭での暮らしにも、数多く残されています。
かつて自宅のリフォームに伴って映画資料を整理した際には、懐かしい台本や写真を見つけては篠田監督に声をかけ、二人で当時の出来事を語り合ったといいます。
映画監督と女優としての仕事をともにしながら、日々の生活も分かち合ってきた二人。思い出の一つひとつが、岩下さんの長い人生の中で大切な存在になっています。
悲しみの中でも、身体を動かす時間を大切に
2026年の『文藝春秋』で岩下さんは、夫を失った後も運動習慣をできる限り続けてきたと明かしています。
悲しみが強いときには、呼吸が浅くなりがちだと感じることもあったそうです。
そんなとき、気功やストレッチで身体を動かす時間が、気持ちを整えるための大切なひとときになっていました。
また、身体を動かした後には、少しでも食べようという気持ちが生まれることもあると、自身の経験を語っています。
長年続けてきた運動習慣が、人生の大きな変化を迎えたときにも、日常生活を支える存在になっていたことが伝わります。
朝に白湯を飲み、ベッドの上でストレッチをする。週1回の気功を続け、夜にも軽く身体を動かす。こうした日々の習慣を、自分の体調に合わせて大切にしてきました。
年齢を重ねた現在も、自分自身の身体と向き合い、生活のリズムを守ろうとする姿勢が感じられます。
2026年には夫との人生を振り返る著書を刊行
2026年7月、岩下さんは『同志として 妻として 「運命の人」篠田正浩と歩いた道』を刊行しました。
本書では、若き日の出会いから、監督と女優として協力してきた映画人生、長い結婚生活、夫との別れまでを振り返っています。
映画制作の同志として、家庭を築く夫婦として、そして長年連れ添った相手を見送った一人の女性として。岩下さんが歩んできた人生には、女優という肩書を超えた多くの物語があります。
2026年には篠田監督作品の上映イベントにも登壇し、夫との思い出や映画人生について語りました。
夫婦で制作した映画を振り返り、自分自身の経験を言葉にして残すことも、岩下さんにとって大切な活動になっています。
女優としての仕事では、年齢とともに台詞の覚え方を工夫してきました。健康のための運動でも、太極拳から気功へと方法を変えています。
人生のさまざまな変化を受け止めながら、自分に合う方法を見つけ、続けていく。そうした柔軟さが、85歳になった岩下さんの暮らしにも息づいています。
岩下志麻さんの豆知識⑧|2026年の著書の裏表紙に隠れた夫婦の写真
2026年9月、阿川佐和子さんとの対談では、新刊の裏表紙にある写真が話題になりました。帯を外すと、篠田監督の膝に頭を乗せ、カメラを構える岩下さんの姿が現れます。岩下さん自身も、その写真を今回初めて見たと語っていました。長い夫婦の歴史を感じさせる一枚です。
まとめ|岩下志麻の美しさを支える、長年積み重ねてきた生活
岩下志麻さんの美容法と健康習慣を詳しくたどると、そこには50年以上にわたる毎日の積み重ねがあります。
20代の肌荒れを経験し、31歳から洗顔や保湿を大切にするようになりました。60代で北京の公園で太極拳と出会い、85歳の現在は気功やストレッチを続けています。
食生活では夫婦で親しんだ豆腐やもずくを楽しみ、家族のために魚、肉、野菜を組み合わせた献立を考えてきました。
気持ちを整える瞑想もあれば、阪神タイガースを熱心に応援する時間もあります。陶芸や着物のデザイン、娘や孫たちとの交流など、日常の中にはさまざまな楽しみが息づいています。
女優としては、年齢を重ねる中で台詞の覚え方を工夫し、作品と真剣に向き合ってきました。家庭では娘を育て、夫と映画を作り、孫たちの成長を見守ってきました。
そして、58年間連れ添った夫との別れを経験した後も、自分のペースで毎日を過ごしています。
岩下志麻さんの凛とした美しさは、華やかな映画の世界とともに、長年続けてきた美容と健康の習慣、仕事への情熱、家族とのつながり、そして人生の変化に柔軟に向き合う姿勢によって形づくられているのでしょう。