自然な白髪、洗練されたファッション、そしてバイクを乗りこなす姿。俳優・岩城滉一さんには、年齢を重ねても自分らしいスタイルを楽しむ、大人ならではの魅力があります。
1951年3月21日生まれ、東京都出身の岩城さんは、2026年に75歳を迎えました。若い頃はバイクチーム「クールス」の活動を通じて注目され、1970年代から俳優として活躍。映画『爆発!暴走族』『人間の証明』、テレビドラマ『北の国から』『抱きしめたい!』など、数々の作品に出演してきました。
特に『北の国から』では北村草太、通称「草太兄ちゃん」を演じ、田中邦衛さんや吉岡秀隆さん、中嶋朋子さんらと長年共演。近年では、2024年公開の主演映画『ラストターン 福山健二71歳、二度目の青春』で、年齢を重ねた男性の孤独や家族への思いを丁寧に表現しました。
俳優として活動する一方、バイクレース、クレー射撃、車、キャンプなどにも本格的に取り組んできた岩城さん。70代になってからも新しい挑戦を続けています。
私生活では、モデル・タレントの結城アンナさんと約50年にわたって人生を共にしてきました。夫妻には一人娘がおり、現在は妻や愛犬との時間を大切にしているそうです。
そんな岩城さんの美容・健康習慣を詳しく調べると、豪快なイメージとは少し違った日常が見えてきます。
好きな食べ物はラーメンライス。妻が用意するケールジュースには味の不満を言いながらも口をつける。以前は銀座で明け方まで過ごしていたのに、現在は午後9時頃に眠り、朝5時頃に起きる生活になりました。
さらに、70代になって妻と一緒に料理をする時間も生まれました。かつては自宅のガレージで車やバイクをいじっていた岩城さんが、今ではキッチンで春巻きづくりを手伝うこともあるのです。
一方で、2025年にはバイクレースで優勝し、雨の中で転倒して指を骨折するという経験もしています。
若い頃から好きなことに夢中になりながら、年齢を重ねた現在は、家族との時間やこれからの人生についても率直に語る岩城さん。今回は本人インタビューと妻・結城アンナさんの証言を中心に、美容・身だしなみ、食生活、睡眠、身体活動、趣味、家族との暮らし、そして人生観まで詳しく紹介します。
1.岩城滉一の若々しさと、仕事だけに縛られない人生の歩み
バイク好きの青年が、思いがけず俳優の世界へ
岩城さんの俳優人生は、好きなバイクに夢中になっていた日々から始まりました。
若い頃は父親の仕事を手伝いながら、仲間たちとハーレーダビッドソンに乗っていました。原宿を中心に活動していたバイクチーム「クールス」では、後に俳優となる舘ひろしさんらと親しくなり、独特のファッションとバイク文化を楽しんでいました。
当時のクールスは、矢沢永吉さんが率いたロックバンド「キャロル」との関係でも知られる存在でした。革ジャンを着てバイクに乗る若者たちの姿が雑誌などで取り上げられるなか、岩城さんも映画関係者の目に留まります。
そして1975年公開の『爆発!暴走族』で主演を務めるなど、バイクに乗る青年としての経験を生かしながら俳優の道を歩み始めました。
当時の撮影現場には、今では想像しにくいほど自由で荒々しい雰囲気があったようです。2024年の『週プレNEWS』で、岩城さんは初期の映画撮影について、スタントマンに頼るのではなく出演者自身がバイクを走らせていたと振り返っています。
撮影中、自分をバイクで追いかけてくる人物を共演者だと思っていたところ、実は本物の警察官だったこともあったそうです。さらに、映画へ出演したい地元のグループに連れていかれるという騒動まで経験したといいます。
岩城さんはその相手に、映画関係者へ紹介すると伝えて話を収めたそうです。若い頃から行動力があり、予想外の状況にも自分なりに対応してきたことが伝わってきます。
その後、1977年の映画『人間の証明』ではニューヨークでの撮影にも参加。三船敏郎さんと共演し、俳優としての活動の幅を広げていきました。
岩城さん自身は、当時は映画界のことをあまり知らず、有名俳優だからといって必要以上に緊張することはなかったと振り返っています。芸能界への強い憧れから入ったというより、好きなことが思いがけず仕事につながったという経歴が、岩城さんらしいところです。
30代で見直した、仕事と自分の時間の関係
岩城さんの人生観を理解するうえで、特に興味深いのが30代初めの心境の変化です。
PRESIDENT誌の本人インタビューでは、俳優として次々と仕事をこなしていた頃、自分の人生を振り返るようになったと語っています。
デビューしてから忙しく働き続け、気がつけば30代。仕事に追われる毎日の中で、もっと自分の時間を持ちたいと考えるようになったそうです。
岩城さんは、それまでの自分を速く走る新幹線にたとえ、各駅停車に乗っていれば、もっとさまざまな景色を見たり、人と出会ったりできたのではないかと振り返りました。
そこで、たとえ収入が減っても、自分の時間を大切にしようと考えるようになります。
この経験は、現在の岩城さんの生き方にもつながっています。仕事を続けながら、バイク、射撃、車、キャンプなど、自分の興味を深める時間を持ち続けてきました。
好きなことに熱中し、技術を磨き、仲間との交流を楽しむ。その経験が後から新しい仕事につながることもありました。
俳優という一つの肩書だけに人生を限定せず、自分が夢中になれる世界を持ってきたことが、長年の活動を特徴づけています。
75歳になった現在も、その考え方は変わっていません。若い頃と同じ生活を続けることよりも、その時々の自分が楽しめることを大切にしているようです。
岩城滉一の豆知識①|『人間の証明』で滞在したのはニューヨークの名門ホテル
1977年の映画『人間の証明』では、岩城さんもニューヨークでの撮影に参加しました。2024年の本人インタビューによると、現地には移動時間も含めて10日ほど滞在し、宿泊先は名門ウォルドーフ・アストリアだったそうです。当時の映画が海外ロケに大きな予算をかけていたことがうかがえる、映画史を感じさせるエピソードです。
2.夜型から朝型へ。岩城滉一の睡眠習慣と健康への考え方
妻が眠る頃に銀座へ出かけ、明け方に帰宅していた日々
岩城さんの生活習慣で特に大きく変わったのが、睡眠と夜の過ごし方です。
若い頃から社交的だった岩城さんは、長年にわたって夜型の生活を送っていました。
妻・結城アンナさんが眠る頃になると銀座へ出かけ、友人や知人と時間を過ごしてから、明け方に帰宅することも珍しくありませんでした。
結城さんは料理や読書、絵を描くことなど、自宅で静かに過ごす時間を好むタイプ。一方の岩城さんは、夜に人と会い、外で過ごすことを楽しんでいました。
同じ家で暮らしていても、生活時間は大きく異なっていたのです。
ところが、2021年7月の『徹子の部屋』では、岩城さんが午後8時半頃に眠り、午前5時頃に起きる生活になったことが紹介されました。
それまで夜の時間を外で過ごしていた夫が、早い時間から自宅にいるようになったことは、結城さんにとっても大きな変化でした。
2017年には夫婦で散歩を楽しむ様子も語られており、家庭で過ごす時間への関心は少しずつ深まっていたようです。
2020年の肺炎と、2026年に語った穏やかな暮らし
生活への考え方を見つめ直すきっかけの一つとなったのが、2020年に経験した肺炎です。
岩城さんは2024年の『ゆうゆうtime』のインタビューで、雪山での撮影中に肺炎になり、入院した経験を振り返っています。
当時のインタビューでは、健康管理を厳格に行うタイプというよりも、好きなことを楽しんで暮らしてきた人物として、自身の生活を率直に語っていました。
たばこやお酒についても、2024年当時は自分の好みを正直に話しています。岩城さんの暮らしは、節制を徹底した理想的な生活として紹介するよりも、本人の経験や年齢による変化をそのまま見ていく方が、人物像がよく伝わります。
そして2026年1月の『徹子の部屋』では、午後9時頃に眠り、朝5時頃に起きる生活を送っていると明かしました。
また、2025年頃から銀座へ飲みに出かけることがなくなり、何カ月もお酒を口にしていない時期があったとも語っています。
2021年にはすでに早寝早起きの生活が始まっており、2025年頃には夜の外出もなくなっていたことから、岩城さんの暮らしは時間をかけながら変わってきたことが分かります。
現在は、自宅でテレビを見たり、愛犬と過ごしたりすることに幸せを感じているそうです。
若い頃には外へ出かけて人と会うことが楽しみだった岩城さんが、今では家で過ごす時間を心地よく感じている。その変化には、年齢を重ねたからこその自然な感覚があるのでしょう。
就寝前に夫婦が交わす「明日ね」という言葉
岩城さんの睡眠に関する話の中でも、特に心に残るのが、妻・結城アンナさんと眠る前に交わす言葉です。
2024年の『ゆうゆうtime』のインタビューで、岩城さんは、夫婦が寝るときに一般的な「おやすみなさい」という挨拶ではなく、「明日ね」と言葉を交わしていると明かしました。
翌朝、2人がまた目を覚まし、顔を合わせられることは幸せなことだと感じているそうです。
長年連れ添った夫婦にとって、翌朝も一緒に過ごせることは当たり前のようでいて、大切なことなのでしょう。
若い頃には朝まで外で過ごしていた岩城さんが、今では妻と同じ時間帯に眠り、翌朝また会えることを喜んでいる。この変化を知ると、早寝早起きという習慣にも、単なる生活時間以上の意味が感じられます。
2024年の映画『ラストターン 福山健二71歳、二度目の青春』では、妻を失った男性を演じた岩城さん。役を通して、長く一緒に暮らす相手の存在についても改めて考えたようです。
毎日の何気ない挨拶に、これからも一緒に暮らしていきたいという思いが込められているところに、岩城さんの温かな一面が表れています。
岩城滉一の豆知識②|映画の主演が、台所に立つきっかけになった
2024年の映画『ラストターン』で、自分で料理をする男性を演じた岩城さん。その経験をきっかけに、家庭でも料理を手伝うようになったそうです。妻・結城アンナさんが春巻きを作る岩城さんの姿をSNSに掲載したこともあり、本人は少し照れながらその出来事を語っています。
3.ラーメンライスとケールジュース。岩城滉一の食生活と料理への新しい関心
妻が明かした、意外に気取らない食べ物の好み
岩城さんの食生活を調べると、洗練された外見の印象とは少し違う、親しみやすい一面が見えてきます。
2021年11月、妻・結城アンナさんはTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう定食/一直線』に出演し、岩城さんの食べ物の好みについて語りました。
そこで紹介されたのが、岩城さんはラーメンライスが大好きだという話です。
結城さんによると、岩城さんは食べ物について細かなこだわりを持つタイプというよりも、好きなものを気軽に楽しんでいるそうです。
2023年のESSEonlineのインタビューでも、夫がラーメンライスやポテトチップスを好むことが紹介されています。
健康や美容への関心が集まる有名人の記事では、毎日の食事が厳格に管理されているように描かれることもあります。しかし、岩城さんの場合は、こうした飾らない好みを知ることが、人物像を理解するうえでも大切です。
好きなものを楽しみ、家庭では妻がつくる食事も味わう。そんな自然な食生活が伝わってきます。
朝に飲んでいた、果物入りのケールジュース
一方、家庭では野菜や果物も取り入れていました。
2021年のラジオで、結城さんは岩城さんがサラダも食べ、朝にはケールのジュースに果物を混ぜたものを飲んでいると話しています。
もっとも、岩城さんはそのジュースの味を毎回喜んでいたわけではありません。味について文句を言いながら飲んでいたそうです。
料理や野菜を取り入れることが好きな妻と、ラーメンライスを好む夫。そんな2人のやり取りが目に浮かぶ、微笑ましいエピソードです。
ケールは葉物野菜の一種で、ジュースやスムージーにも使われています。結城さんはそこに果物を混ぜ、家庭の朝の飲み物として用意していました。
岩城さんの食生活を考える際には、特定の食材だけに注目するよりも、料理を楽しむ妻と、気取らない食べ物の好みを持つ夫が、長い年月を共に暮らしてきた背景が大切です。
ラーメンライスとケールジュースという対照的な食べ物が、同じ家庭の日常に登場するところに、岩城夫妻の面白さが感じられます。
映画『ラストターン』をきっかけに、春巻きづくりも
70代になってからの食生活には、さらに新しい変化がありました。
2024年公開の映画『ラストターン 福山健二71歳、二度目の青春』で、岩城さんは妻に先立たれた主人公・福山健二を演じました。
映画の中で主人公は、自分で食事をつくりながら暮らしています。その役を演じたことがきっかけとなり、岩城さん自身も妻の料理を手伝うようになったそうです。
2024年の『ゆうゆうtime』では、結城さんが春巻きをつくる際に岩城さんもキッチンに立ち、その様子がSNSに掲載されたことを、照れながら話しています。
長年、家庭では車やバイクのあるガレージで過ごすことが多かった岩城さんが、妻と一緒に食材や料理について話す時間を持つようになったのです。
本人は、料理そのものを新しい趣味として熱中しているというより、妻と話しながら一緒に作業する時間を楽しんでいるようでした。
春巻きの具材をどうするか相談したり、作業の進め方について話したりする。そんな小さな会話が、夫婦の日常に新しい楽しさをもたらしています。
若い頃には生活時間が正反対だった2人が、70代になって一緒に料理をする。食生活だけでなく、夫婦関係の変化まで感じられるエピソードです。
岩城滉一の豆知識③|結城アンナが望んだのは、どの窓からも木が見える家
2021年のラジオ出演で、結城アンナさんは自宅をつくる際、どの窓からも木が見える家にしたかったと語っています。屋内で料理や読書を楽しむことが好きな結城さんにとって、緑を感じられる住まいは大切な空間です。バイクや車を楽しむ岩城さんと、家庭の落ち着いた時間を好む結城さん、それぞれの個性が表れる暮らしです。
4.70代でもバイクレースに挑戦。岩城滉一の身体活動と変わらない情熱
俳優人生の原点となった、バイクとモータースポーツ
岩城さんにとって、バイクは若い頃から人生の大切な一部です。
俳優の世界に入るきっかけになっただけでなく、その後も長年にわたりレースへ参加し、自らチームを率いるなど、モータースポーツに本格的に取り組んできました。
2007年のPRESIDENT誌のインタビューでは、二輪と四輪のレーシングチーム「チームイワキ」を率いてレースに参加していたことが紹介されています。
2024年の『ゆうゆうtime』では、1980年からカーレースに参戦してきたことや、近年は若手選手の支援やチームの監督としても活動してきたことが語られました。
岩城さんは、レースの世界に長年関わってきたことで、競技の楽しさだけでなく、技術を磨き続ける難しさも経験してきました。
2024年のインタビューでは、73歳で再びレースに参加しようと考えた理由について、ファンや関係者から復帰を望む声があったことを挙げています。
自分が走ることで、ほかの選手が刺激を受けたり、レースに関心を持つ人が増えたりするかもしれない。そんな思いもあったようです。
長年楽しんできた競技を、自分一人の趣味としてだけではなく、仲間や次の世代との交流の場としても大切にしていることが分かります。
2025年のレース優勝と、妻に内緒にしていた骨折
2026年1月の『徹子の部屋』では、岩城さんが前年の2025年にバイクレースへ出場し、優勝していたことが紹介されました。
当時74歳だった岩城さんは、同じレースに自分より年上の参加者はいなかったと話しています。
しかし、そのレースでは思いがけない事故もありました。
雨で路面が滑りやすくなったところで転倒し、200kg以上あるバイクの下敷きになってしまったのです。
その際に指を骨折しましたが、岩城さんは妻・結城アンナさんにレースへ参加していたことを知らせていませんでした。
けがの理由についても、最初はドアに指を挟んだと説明していたそうです。
番組の打ち合わせで本当の事情が明らかになり、結城さんは初めて事故について知ることになりました。
長年連れ添った妻であっても、夫のバイクへの情熱には驚かされることがあるのでしょう。結城さんは、指が残っていてよかったという趣旨の反応をしており、番組では夫婦らしいやり取りが笑いを誘いました。
岩城さんが年齢を重ねてもレースに参加することには、長年培ってきた技術への自信や、競技を楽しみたいという思いがあるのでしょう。
一方、事故の経験は、好きな活動を続けるうえで安全への配慮も大切であることを感じさせます。
舘ひろしとのバイク仲間時代
岩城さんのバイク人生を語るうえで欠かせない人物が、俳優・舘ひろしさんです。
2人は若い頃からバイクチーム「クールス」を通じて親しくなり、芸能界に入る前から行動を共にしていました。
2024年のテリー伊藤さんとの対談では、岩城さんは舘さんと昔ほとんど毎日のように一緒にいたと振り返っています。
舘さんがバイクの免許を取得するときには、岩城さんがバイクの後ろに乗せて教習所まで連れていったこともあったそうです。
後にそれぞれ俳優として広く知られるようになった2人ですが、関係の原点には、バイクが好きな若者同士の交流がありました。
長い年月を経ても当時の出来事を語れるところに、若い頃に築いた仲間とのつながりの深さが感じられます。
岩城滉一の豆知識④|娘からの手紙をバイクに記したことも
岩城さんは、娘さんからバイクで無理な走り方をしないでほしいという願いが込められた手紙を受け取ったことがあります。本人はその言葉を大切にし、バイクにも記していたそうです。レースへの情熱と、娘からの気遣いを大切にする父親としての思いが一緒に感じられるエピソードです。
5.白髪が似合う大人の美容観と、岩城滉一の身だしなみ
自分に似合うものを知り、足元から装いを整える
岩城さんの外見で印象的なのは、自然な白髪と、年齢を重ねた姿に似合う落ち着いたファッションです。
若い頃のワイルドな雰囲気を残しながらも、スーツやカジュアルな服装を自然に着こなし、大人ならではの存在感を感じさせます。
本人の美容観を知るうえで興味深いのが、ファッション、とりわけ靴へのこだわりです。
2017年の靴メーカー・マドラスの本人インタビューで、岩城さんは、自分たちの世代では相手の足元を見ることで、おしゃれへの意識が感じられたと語っています。
ジャケットやシャツをきれいに着るだけでなく、どのような靴を合わせるかによって、服装全体の印象が変わるという考え方です。
岩城さんはクラシックな装いを好みながらも、色や素材、組み合わせに自分らしい工夫を加えることを楽しんできました。
例えば、同じネイビーのスーツでも、色の濃さや素材によって印象は変わります。そこにどのような靴を合わせるかによって、落ち着いた雰囲気にも、少し遊び心のある装いにもできるというのです。
流行しているものをそのまま取り入れるより、自分の好きなものを理解し、全体のバランスを考えて選ぶ。その感覚が、岩城さんらしいスタイルにつながっているようです。
おしゃれな父親の影響と、履き心地へのこだわり
岩城さんがファッションに関心を持つ背景には、幼い頃に見ていた父親の姿もあります。
本人によると、父親は非常におしゃれな人物で、真っ白なスーツにベストと帽子を合わせ、白と黒のサドルシューズを履いていたそうです。
子どもの頃からそんな父親の姿を見ていたことが、現在の岩城さんの装いへの感覚にもつながっているのでしょう。
また、岩城さんは靴を選ぶとき、デザインだけでなく、実際に履いたときの感触も大切にしています。
2017年のインタビューでは、映画撮影用にオーダーした靴が気に入り、普段の生活でも使いたくなったと語っています。
仕事のために用意したものであっても、自分が本当に気に入れば日常でも楽しむ。そんな姿勢が、岩城さんのファッションへの考え方に表れています。
さらに、本人は趣味を通じて覚えた技術が、自分の自信につながることについても話しています。好きなことに真剣に取り組み、経験を積み重ねてきたことが、仕事や日常の自然な振る舞いにも表れるという考え方です。
岩城さんの大人らしい魅力には、服装へのこだわりだけでなく、長年の経験から生まれた落ち着きや、自分らしさを大切にする姿勢もあるのでしょう。
岩城滉一の豆知識⑤|靴の色には、特にこだわりがある
2017年のマドラスのインタビューで、岩城さんはデザイン以上に色の選び方を大切にしていると語りました。ネイビーのスーツに合わせる靴でも、素材や微妙な色合いの違いを楽しんでいるそうです。基本の着こなしを理解したうえで少し遊び心を加えるのが、岩城さん流の大人のおしゃれです。
6.クレー射撃、北海道、宇宙旅行。多彩な趣味を楽しむ岩城滉一の人生観
学生時代から取り組んできた射撃と、射撃場の経営
岩城さんの趣味の中でも、特に長い歴史を持つのが射撃です。
2024年6月、漫画家・猿渡哲也さんとの対談で、岩城さんは学生時代からエアライフルに取り組み、国民体育大会の選手を目指していたことを語っています。
競技に真剣に向き合っていたものの、目標を実現するうえではさまざまな事情もあり、その後はレースへと関心が移っていったそうです。
それでも射撃への興味は続き、長年クレー射撃を楽しんできました。
さらに、神奈川県にある「神奈川大井射撃場」の経営にも関わるようになりました。
以前から射撃クラブの会長を務めていた岩城さんですが、施設の運営者が高齢になり、売却を考えていたことがきっかけで引き継いだそうです。
2024年の宇崎竜童さんとのラジオ対談では、射撃場を引き継ぐ際に銀行へ相談し、資金の手配を進めたことも語っています。
長年楽しんできた趣味が、やがて施設の運営という新しい仕事につながる。こうした展開は、岩城さんの人生を象徴するような出来事です。
本人は、俳優の仕事だけに生活を頼らなくてもよい状況になったことで、以前より精神的なゆとりを感じられる部分があるとも話しています。
若い頃に考えた「自分の時間をもっと大切にしたい」という思いが、長い年月を経て現在の暮らしにつながっているようです。
妻が受け入れてきた、遊びが仕事につながる生き方
岩城さんの趣味と仕事の関係は、妻・結城アンナさんにもよく理解されています。
2024年の『週プレNEWS』のインタビューで、岩城さんは、急にアメリカへバイクに乗りに行くことになっても、結城さんはその活動を自然に受け入れていたと語っています。
普通であれば、仕事のために旅行をする、あるいは仕事で得た収入で趣味を楽しむという順番を考えるかもしれません。
しかし岩城さんの場合、好きなことに取り組んでいるうちに、その経験が後から仕事につながることがありました。
若い頃のバイクが俳優デビューにつながり、レースがテレビ番組の企画になり、車の改造が新しい仕事を生む。そうした本人独特の働き方を、結城さんは長い年月を通して見守ってきました。
一方で、岩城さんがアクロバット飛行用の飛行機を購入したときには、結城さんが心配して思いとどまるよう伝えたこともあったそうです。
夫の好奇心を尊重しながら、大切な場面では自分の考えを伝える。そんな夫婦の関係も、岩城さんの多彩な活動を支えてきたのでしょう。
北海道・弟子屈町で思い描いた第二の人生
岩城さんの行動力を感じさせる大きな計画の一つが、北海道への移住構想です。
2021年頃、岩城さんは北海道東部の弟子屈町で、新しい生活の拠点をつくりたいと語っていました。
自然に囲まれた広い場所で、車やバイク、キャンプを楽しみ、軽飛行機を飛ばせるような環境も整えたいという構想です。
70歳という年齢を一つの節目として、これまで頑張ってきた自分へのご褒美のような気持ちもあったそうです。
2022年には、北海道でジープを走らせたり、雪原でスノーバイクやスノーモービルを楽しんだりする姿がテレビ番組で紹介されました。久しぶりに乗馬へ挑戦する場面もありました。
岩城さんにとって自然の中で過ごすことは、ただ静かに休むだけの時間ではありません。
新しい道具を使い、知らない場所へ行き、仲間とさまざまな体験を重ねる。そうした活動が、長年の生活の楽しみになってきました。
また、射撃場を活用したドローン関連の教育施設についても、2024年に構想を語っています。自分が持つ経験や場所を、新しい技術に関わる活動へ生かせないかと考えていたのです。
岩城さんは、これまで積み重ねてきた経験を大切にしながら、常に次の楽しみを見つけようとしているようです。
岩城滉一の豆知識⑥|60代には民間宇宙旅行も計画
2013年、岩城さんは民間宇宙旅行への参加計画を発表しました。計画はその後延期され、実際の宇宙飛行には至りませんでしたが、60代になっても未知の世界へ関心を向けていたことが分かります。バイクや飛行機だけでなく、宇宙にまで好奇心が広がっていたという岩城さんらしいエピソードです。
7.妻・結城アンナとの約50年、娘、愛犬との暮らしと家族への思い
正反対の性格でありながら、長い時間を共にしてきた2人
岩城さんの生活習慣や人生観を語るうえで、妻・結城アンナさんの存在は欠かせません。
結城さんはスウェーデン生まれで、若い頃からモデルとして活動し、その後も料理やファッション、暮らしについて発信してきました。
2人が出会ったのは、友人たちが集まるスナック喫茶でした。当時の結城さんは高校生で、岩城さんは大学生。仲間と映画を見たり、遊びに出かけたりする中で、自然に親しくなっていったそうです。
しかし、性格も生活習慣も大きく違っていました。
岩城さんはバイクや車が好きで、外へ出かけて人と過ごすことを楽しむタイプ。一方の結城さんは、家で料理をしたり、読書や絵を描いたりする静かな時間を大切にしてきました。
食べ物の好みも、眠る時間も、休日の過ごし方も違う2人。結城さんは過去のインタビューで、若い頃にはこうした違いからよく衝突していたと振り返っています。
2026年の『徹子の部屋』でも、これまで何度も離婚を考えたことがあると率直に語りました。
それでも長い年月を共にしてこられたのは、お互いを同じ性格に変えようとするよりも、それぞれの個性を受け入れてきたからなのでしょう。
娘が大学生になってから正式に入籍した、独特な夫婦の歩み
岩城夫妻の関係には、意外なエピソードがあります。
2017年の『週刊女性PRIME』のインタビューで、結城さんは岩城さんと長く一緒に暮らしていたものの、正式に婚姻届を提出したのは娘さんが大学生になってからだったと明かしました。
若い頃の2人は、結婚式や法律上の形式よりも、一緒に暮らすことそのものを大切にしていたそうです。
娘さんが生まれた後も、長い間パートナーとして生活し、後に書類上の手続きなどを考えて正式に入籍しました。
2026年にテレビ番組で紹介された「結婚50年」という表現は、こうした長いパートナー関係を含めた節目として理解できます。
結婚という形についても、自分たちらしい考え方を大切にしてきたことがうかがえます。
また、若い頃は経済的に余裕がある生活ばかりではありませんでした。結城さんはモデルの仕事をしながら、家庭の生活費を支えていた時期もあったそうです。
2017年のインタビューでは、日用品が足りなくなると、岩城さんにパチンコへ行ってもらい、景品として受け取ったしょうゆなどを使っていたという思い出も紹介されています。
現在の落ち着いた夫婦の姿からは想像しにくい、若い頃の暮らしの一場面です。
さらに2026年の『徹子の部屋』では、『北の国から』の撮影時期に、結城さんが持ち物を売ったり、お金を借りたりしながら家計を支えていたことも語られました。
岩城さんが北海道での撮影に参加している間、家庭では生活費のやりくりが必要でした。岩城さんは、妻がそうした苦労をしていたことを詳しく知らなかったと明かしています。
華やかな俳優人生の裏側には、家族を支えるために努力してきた結城さんの姿がありました。
一人娘への思いと、愛犬のいる現在の暮らし
岩城さんと結城さんには、一人娘がいます。
娘さんが小さかった頃、岩城さんは仕事や趣味に忙しく、家族と過ごす時間が限られていた時期もありました。
2026年の『徹子の部屋』では、もっと娘と一緒に遊びに行けばよかったという思いを語っています。
若い頃は自分が好きなことに夢中になっていた岩城さんですが、年齢を重ねた現在は、家族で過ごせる時間の大切さを改めて感じているようです。
娘さんは成長後、アメリカ人の男性と結婚しました。岩城さんは娘婿について、自分の息子のように感じているとも話しています。
そして現在の夫婦生活では、愛犬の存在も大切なものになっています。
2024年の『ゆうゆうtime』では、愛犬のオジーについて夫婦の共通の話題として語り、2026年の『徹子の部屋』でも、犬がいることで妻との会話が増えたと話しています。
かつては銀座で過ごす時間を楽しんでいた岩城さんが、今では自宅でテレビを見たり、犬と過ごしたりすることに幸せを感じるようになりました。
夫婦それぞれの趣味を楽しみながら、愛犬の話や料理の時間を通して会話が生まれる。そんな現在の暮らしからは、長年連れ添った2人ならではの距離感が伝わってきます。
岩城夫妻は、結城さんの母親を自宅で約6年間介護した経験もあります。家族の暮らしにはさまざまな出来事がありましたが、そうした年月を重ねながら、現在の穏やかな生活を築いてきました。
岩城滉一の豆知識⑦|田中邦衛が娘と一日中プールで遊んでくれた
岩城さんは2024年のインタビューで、娘さんが小学生の頃、北海道の『北の国から』の撮影地を訪れた際の思い出を語っています。撮影のない日、田中邦衛さんが娘さんに一日中付き合い、プールで遊んでくれたそうです。田中さんとの関係が仕事だけにとどまらず、家族ぐるみの温かなものだったことを感じさせる話です。
8.『北の国から』の仲間、70代で演じた老い、そしてこれからの人生
ガッツ石松とのボクシング場面で骨折。それでも続いた撮影
岩城さんの俳優人生を語るうえで、『北の国から』は特別な作品です。
1981年に始まったこのドラマで、岩城さんは北村草太役を演じました。北海道・富良野を舞台に、田中邦衛さん演じる黒板五郎や、吉岡秀隆さん演じる純、中嶋朋子さん演じる蛍たちと、長年にわたって物語をつくり上げてきました。
岩城さんが2024年の『週プレNEWS』で語った撮影の思い出には、驚くようなエピソードがいくつもあります。
その一つが、ガッツ石松さんとのボクシング場面です。
撮影のために軽くスパーリングをすることになり、岩城さんがパンチを出したところ、元世界王者のガッツさんも反射的に反応。岩城さんは倒れた際に手をつき、手首を骨折してしまったそうです。
ところが、本番の撮影ではギプスを着けたままグローブをはめ、ボクシング場面に臨んだといいます。
当時の『北の国から』では、実際の生活や作業を出演者自身が体験しながら演じる場面が多くありました。
岩城さんは牛の乳搾りも実際に行い、最初は手つきが違うと脚本家の倉本聰さんから指摘され、練習を重ねたそうです。
また、牛の帝王切開を描く場面では、実際の動物を前にした撮影の大変さも経験しました。
北海道の自然や農業の現場を肌で感じながら演じることは、岩城さんにとっても特別な経験だったのでしょう。
こうした現場を通して、出演者同士の関係にも深い親しさが生まれていきました。
倉本聰への感謝と、田中邦衛らとの長い絆
岩城さんは、『北の国から』に出演するまでの経緯についても、2024年のインタビューで率直に語っています。
脚本家の倉本聰さんには、以前からロケーションの仕事を手伝うなどしてかわいがってもらっていたそうです。
『前略おふくろ様』などに出演する機会を得た後、さまざまな事情を経験しながらも、倉本さんから再び声をかけてもらった作品が『北の国から』でした。
そのため、岩城さんは倉本さんに強い恩義を感じていると話しています。
また、田中邦衛さんや地井武男さんとの関係についても、家族のような温かさがあったと振り返っています。
長い年月をかけて同じ作品をつくり続けることは、短期間の映画撮影とは異なる経験です。
俳優として多くの作品に出演してきた岩城さんにとっても、『北の国から』は仕事仲間との強い絆が生まれた、忘れられない作品となりました。
26年ぶりの映画主演『ラストターン』で向き合った老いと夫婦愛
2024年、岩城さんは映画『ラストターン 福山健二71歳、二度目の青春』で、26年ぶりの映画主演を務めました。
演じたのは、妻を亡くした後、日々の暮らしの中で新しい生きがいを探す71歳の男性です。
主人公はもの忘れや身体の変化を感じながらも、人との交流や新しい挑戦を通して、再び毎日を楽しむようになっていきます。
岩城さんは、この役を演じる中で、自分自身も年齢を重ねたことによる変化を感じていると語っています。
若い頃に比べて瞬発力やもの覚えが変わったこと、近視や老眼など、目の状態にも変化があることを率直に話しました。
長年バイクレースに取り組んできた人物だからといって、年齢による変化と無縁というわけではありません。
岩城さん自身もそうした現実を受け止めながら、現在の自分にできることや楽しめることへ目を向けています。
特に、妻を失った主人公の気持ちについては、結城アンナさんの存在を思い浮かべながら演じたそうです。
長年一緒に暮らしてきた妻の存在が、自分の人生にとってどれほど大切か。その思いが、映画の役柄への共感にもつながっていました。
この映画での経験が、家庭で料理を手伝うようになったことにもつながっています。
俳優として役を演じることが、日常生活に小さな変化をもたらしたという点でも、岩城さんにとって印象深い作品になったようです。
引退について考えながらも、今の暮らしを楽しむ
2026年の『徹子の部屋』では、岩城さんが芸能生活50年を節目として、引退について考えたことも明かしています。
年齢を重ね、長いせりふを覚えることへの負担を感じるようになったことも、仕事との向き合い方を考える理由の一つでした。
一方で、現在は自分のペースで仕事を続けながら、趣味や家庭での時間も楽しんでいます。
また、長年集めてきた時計を友人に譲るなど、身の回りの持ち物を整理し始めていることも語っています。
車やバイク、時計など、自分が好きなものを大切にしてきた岩城さんにとって、これから何を残し、どう暮らしていくかということも重要なテーマなのでしょう。
妻・結城アンナさんは、後になって後悔しないよう、やりたいことを楽しめばよいという思いを夫に伝えているそうです。
これまで積み重ねてきた経験や大切な人との関係を振り返りながら、現在の自分に合った暮らしを楽しんでいく。その姿には、75歳になった岩城さんならではの穏やかさと自由さが感じられます。
岩城滉一の豆知識⑧|2024年にはレース復帰の理由も明かしていた
2024年の『ゆうゆうtime』で、岩城さんは73歳で再びレースに参加しようと考えた理由を語りました。以前からのファンや関係者が復帰を望んでくれたことが、背中を押すきっかけになったそうです。自分が走ることで、若い選手や観客にも刺激を届けられるかもしれない。そんな思いも、長年のレース活動を支えていました。
まとめ|岩城滉一の美容・健康習慣に学ぶ、自分らしい年齢の重ね方
岩城滉一さんの美容・健康習慣を詳しく見ていくと、自分が好きなことを楽しみながら、年齢や経験に合わせて暮らし方を変えてきた姿が見えてきます。
若い頃からバイクや車に夢中になり、俳優として活動する一方、クレー射撃やキャンプなどにも本格的に取り組んできました。
30代には仕事ばかりの人生を見直し、自分の時間をもっと大切にしたいと考えるようになりました。
食生活ではラーメンライスを好む飾らない一面があり、家庭では妻が用意するケールジュースやサラダも取り入れていた時期がありました。
70代になってからは料理を手伝うようになり、妻とキッチンで会話する時間も生まれました。
睡眠習慣は長年の夜型生活から早寝早起きへと変化し、現在は妻・結城アンナさんや愛犬と過ごすことを大切にしています。
一方、長年のバイクレースへの情熱は続き、2025年には優勝したことも明かしています。
仕事では『北の国から』の仲間との絆を大切にし、2024年の主演映画では老いや家族への思いと向き合いました。
そんな岩城さんの人生を振り返ると、年齢を重ねることは、若い頃と同じ姿を保とうとすることだけではないと感じられます。
自分が大切にしてきた趣味や経験を楽しみながら、家族との時間を深め、その時々の自分に合った暮らしを選んでいく。
そして、眠る前には妻と「明日ね」と言葉を交わし、翌朝また一緒に過ごせることを喜ぶ。
好きなことへ向かう行動力と、日常の小さな幸せを大切にする穏やかさ。その両方を持っているところに、岩城滉一さんならではの大人の魅力があるのでしょう。