内村航平の美容法・健康習慣|1日1食・筋トレ・睡眠・スキンケア・家族・引退後の現在

内村航平の美容法・健康習慣|1日1食・筋トレ・睡眠・スキンケア・家族・引退後の現在

OBARASOTARO

オリンピックの体操男子個人総合で2連覇を達成し、「キング」の愛称で親しまれてきた内村航平さん。空中で何度も回転しながら美しい姿勢を保ち、観客が思わず息をのむような着地を決める。その完成度の高い演技は、世界中の体操ファンを魅了してきました。

2008年の北京オリンピックで個人総合銀メダルを獲得し、2012年ロンドン大会と2016年リオデジャネイロ大会では個人総合を連覇。リオ大会では日本男子団体の金メダルにも貢献しました。世界選手権では個人総合6連覇という記録を打ち立て、オリンピック4大会で金3個、銀4個の合計7個のメダルを獲得しています。

そんな世界的アスリートの生活には、驚くほど独特な習慣がありました。現役時代には1日1食という食生活を送り、睡眠時間を大切にし、洗顔や歯磨きの順番まで決めて毎日を過ごしていたというのです。

一方で、大好きなチョコレート菓子「ブラックサンダー」が話題になり、漫画やゲーム、引退後に始めたゴルフを楽しむ親しみやすい一面もあります。幼少期には肌のかゆみに悩まされ、競技人生の後半には足首や肩のけがとも向き合ってきました。

内村さんが世界一になるまで追求してきたのは、難しい技を正確に成功させることに加えて、誰が見ても美しいと感じる体操でした。空中での姿勢から最後の着地までこだわり、普段の立ち姿にも競技者としての美意識が表れていたといいます。

2022年に現役を引退した後は、休養や身体づくりへの考え方にも変化が生まれました。2026年には自身がプロデュースする体操アカデミーを開校し、世界の頂点に立つまでに培った経験を次の世代へ伝えています。

今回は本人のインタビュー、公式資料、母親の内村周子さんの証言などをもとに、内村航平さんの食生活、睡眠、スキンケアにまつわる経験、筋力と柔軟性、美意識、家族、趣味、引退後の健康習慣までを詳しく紹介します。

1.内村航平とは?体操一家で育った少年が世界一になるまで

3歳から始まった体操人生と体育館のある自宅

内村航平さんは1989年1月3日生まれ。福岡県北九州市で生まれ、長崎県諫早市で育ちました。父親の内村和久さんと母親の周子さんはともに体操経験者で、1992年に諫早市でスポーツクラブ内村を開設しています。

内村さんが体操を始めたのは3歳の頃。幼い頃の住まいは体育館と生活スペースが一体になっており、学校から帰れば自然に身体を動かす毎日だったそうです。

2025年の暮らしに関するインタビューでは、山や海に囲まれた諫早で虫捕りを楽しんだことも振り返っています。しかし、友達と外で遊ぶ以上に、体育館で跳んだり回ったりすることが好きでした。

2008年の日本オリンピック委員会のインタビューでも、幼い頃は空中から普段とは違う景色を見ることが楽しかったと話しています。新しい技ができるようになることや、今まで経験したことのない身体の動きを覚えることが、何よりの喜びだったのでしょう。

両親から体操を強制されていたわけではなく、本人が好きだから続けていたことも印象的です。自宅に体育館があり、好きなときに体操ができる環境は、内村さんにとって理想的な遊び場でもありました。

体操に夢中になるあまり、疲れると体育館のマットで眠ってしまうこともあったそうです。後にオーダーメイドの寝具にこだわるようになる内村さんにも、幼い頃は体操用のマットで心地よく眠っていた時期がありました。

母親の周子さんは、子どもたちを厳しく叱るよりも、できるだけ褒めて育てることを大切にしてきました。体操を楽しむ気持ちを育てる家庭環境が、長い競技人生の土台になりました。

一方、内村さんは最初から大会で目立つ成績を残していたわけではありません。小学校1年生で初めて出場した大会では最下位だったと本人が語っています。勝敗以上に、身体を動かすことが好きだという気持ちが、体操を続ける原動力になっていました。

内村航平の豆知識①|急な坂道でも自転車から足をつかなかった

中学生の頃、自転車通学をしていた内村さんは、どんなに急な坂道でも地面に足をつかずに上り切るというルールを自分に課していました。自宅の近くには曲がりながら上る急坂がありましたが、本人によると一度も足をつかなかったそうです。日常の移動まで自分への挑戦に変えてしまうところに、少年時代の負けず嫌いな性格が表れています。

15歳で上京して学んだ基礎練習の重要性

中学校を卒業すると、内村さんはさらに高いレベルの体操を学ぶため、15歳で東京へ移りました。目標としていたのは、憧れの体操選手・塚原直也さんが所属する朝日生命体操クラブでした。

東京へ行けば難しい技を次々に練習できると期待していましたが、最初に待っていたのは基本動作を繰り返す地道な練習でした。

高校1年生の頃は、その練習の意味が十分に理解できず、戸惑うこともあったそうです。ところが高校2年生になり、それまで難しかった技に挑戦すると、以前よりもスムーズにできるようになっていることに気づきました。

基礎練習を積み重ねることで、身体の使い方そのものが変わっていたのです。

上京当時は、長崎とは大きく異なる東京の街並みや電車での移動にも少しずつ慣れていきました。体操クラブの仲間と吉祥寺や下北沢へ遊びに出かけ、ボウリングやカラオケを経験したこともあったそうです。

2006年には高校選抜と全日本ジュニアの個人総合で優勝し、高校生ながらナショナルチームに選出。その後、日本体育大学へ進学し、2008年の北京オリンピックで19歳にして個人総合銀メダルを獲得しました。

2012年ロンドン大会で個人総合金メダル、2016年リオデジャネイロ大会で個人総合連覇と団体金メダルを達成。国内でも全日本選手権とNHK杯の個人総合で、それぞれ10連覇という記録を残しました。

個人総合の絶対王者という印象が強い内村さんですが、本人にとって団体金メダルは特別な喜びでした。2022年にサッカー元日本代表の播戸竜二さんと対談した際にも、仲間と勝利を分かち合えたことの大きさを振り返っています。

個人戦では自分自身の演技が結果につながりますが、団体戦では仲間の演技やチーム全体の流れにも向き合わなければなりません。2015年の世界選手権、2016年のリオ五輪で団体優勝を成し遂げたことは、内村さんの競技人生における重要な経験でした。

2016年末にはプロ体操選手として新しい道を歩み始めます。競技で結果を追い求めながら、体操そのものの魅力を広く伝えたいという思いも強くなっていきました。この考え方は、引退後の体操展やアカデミー開校へとつながっています。

2.内村航平の食生活|1日1食、母の家庭料理、ブラックサンダー

1日1食を続けた理由と独特な身体感覚

内村航平さんの健康習慣で特に注目を集めたのが、現役時代の1日1食という食事方法です。

2019年2月、スポーツ用品メーカーのイベントに出演した内村さんは、大学生の頃から食事を主に夜の1回にしていると説明しました。

午前と午後に練習を行い、その後に食事を取るという生活です。練習前に食べると身体が重く感じられることがあり、自分の感覚に合わせて食事の時間や量を決めていたそうです。

当時の本人は、1日の摂取カロリーが約1,000キロカロリー強だったこともあると明かしています。ただし、これは当時の本人申告であり、一般的な成人や運動選手に適した食事量を示すものではありません。

内村さん自身も、この独特な食事方法をほかの人が真似することは勧めていませんでした。

また、大会の約1週間前になると、自然に炭水化物が食べたくなることもあったといいます。食事が翌日の身体の感覚にどのようにつながるのかを、競技生活のなかで重視していたことが分かります。

2022年1月の引退会見でも1日1食という習慣について語っていますが、引退後は活動量も生活リズムも変わっています。こうした食事方法は、本人が語った当時の競技生活の一面として捉えることが適切でしょう。

実際の夕食に並んでいた、ご飯、おかず、汁物、果物

1日1食という言葉からは、内村さんがどのような料理を食べていたのかまで想像することは難しいかもしれません。

その食生活を具体的に知る手掛かりとなるのが、テーブルマークが公開した、田中佑典さん、加藤凌平さんとの公式座談会です。

当時の内村さんは、所属先で用意される夕食を取っていたことを説明しています。食事にはご飯、おかず数品、汁物、果物、ヨーグルトなどが並び、献立も工夫されていたそうです。

もともと小食だった内村さんにとっては、品数の多い夕食を食べ切ることが大変な日もありました。それでも、練習や大会に向けた身体の状態を考えながら、食事を取るようにしていたといいます。

同じ代表選手でも食生活への考え方はそれぞれ異なり、田中佑典さんは内村さんの食事回数について驚いていたそうです。

体操競技の世界で同じ目標に向かい、一緒に練習していた仲間たちにも、それぞれ独自の生活習慣があったことが分かります。

また、2017年には練習パートナーを務めていた佐藤寛朗コーチが、内村さんは野菜も食べるようになり、栄養バランスについて考えるようになったと話しています。

競技生活の変化に合わせて、食べるものにも意識を向けていた時期があったのです。

さらに2025年9月、母親の周子さんは、幼い頃から航平さんの食事には肉も野菜も用意していたことや、家族で集まる際の食卓について語っています。もともと一度に食べる量が少ないことも、母親がよく知る特徴だったそうです。

取材で紹介された家庭料理には、チキンのガーリックソテー、卵とレタスのサラダ、カボチャの煮付け、ジャガイモとワカメの味噌汁、ご飯などが並んでいました。別の日には明太子パスタや青椒肉絲も作っていたといいます。

メディアで知られる食の好み、練習仲間が知っていた現役時代の食事、母親が作る家庭料理。それぞれの話を合わせることで、内村さんの食生活をより立体的に知ることができます。

内村航平の豆知識②|引退会見で登場した「勝負水」

2022年1月の引退会見は午前中に行われました。朝食について尋ねられた内村さんは、その日は水を飲んできたと説明し、冗談交じりに「勝負水」と表現しました。大きな節目の会見でも、食生活についてユーモアを交えて答えていたのです。

好きなお菓子が18年後のスポンサー契約へ

内村さんの好きな食べ物としては焼肉も知られていますが、特に有名なのがチョコレート菓子のブラックサンダーです。

2008年の北京オリンピックの頃、好きなお菓子として名前を挙げたことが話題になりました。

2022年の引退会見では、ブラックサンダーは勝負飯ではなくお菓子だと、笑いを交えながら説明しています。

そして2026年10月1日、ブラックサンダーを製造する有楽製菓が、内村さん本人と「UCHIMURA SPORTS ACADEMY」とのスポンサー契約を発表しました。

北京オリンピックの頃に好きなお菓子として話題になってから約18年。長い年月を経て、内村さんが始めた新しい体操教育を支える関係へと発展したのです。

現役時代から変わらず語られてきた好きなお菓子が、引退後の新しい活動につながる。内村さんの競技人生を象徴する、印象的なエピソードです。

3.内村航平のスキンケアと美意識|幼少期の肌の経験から美しい立ち姿まで

幼少期の肌の悩みと家族が続けていたケア

力強く美しい演技で世界を魅了してきた内村さんですが、子どもの頃には肌の悩みを抱えていたことが分かっています。

2025年、母親の周子さんはCHANTO WEBのインタビューで、航平さんが幼少期にアトピー性皮膚炎による強いかゆみに悩まされていたと語りました。

母親によれば、幼い頃から肌の乾燥や赤みが気になり、医師に相談しながら生活していたそうです。小学校に入ってからもかゆみが続き、肌だけでなく頭部にも悩みがありました。

周子さんは、衣服の摩擦を少なくすること、汗をかいたときにはタオルで拭くこと、保湿クリームを使うことなど、毎日の生活のなかでさまざまな工夫を続けていました。

当時の自宅は体育館と生活スペースが一体になった環境で、住まいの清潔さや室内環境にも気を配っていたそうです。

子どもにとって、好きな体操を思い切り楽しみたい気持ちと、肌のかゆみに向き合うことが重なる日々もありました。母親は子どもの身体だけでなく、気持ちにも目を向けながら支えていたといいます。

小学校6年生のときには、体操の合宿でカナダを訪れました。ホームステイ先が医師の家庭だったことから、肌について相談する機会があり、母親によれば、そこで治療についての助言を受けたそうです。

こうした話は母親が振り返った当時の経験であり、現在の内村さんの肌の状態を示すものではありません。幼少期に家族とともに肌の悩みに向き合ってきたという、本人の成長過程を伝える大切なエピソードです。

周子さん自身と娘の春日さんにも、肌の悩みを経験した時期があったといいます。家族にも共通する経験があったことから、幼い航平さんを見守る気持ちにも特別なものがあったのでしょう。

また、母親は肌や食生活に気を配りながらも、子どもが好きなものを食べる楽しさを大切にしていたと語っています。身体への配慮とともに、好きな体操に夢中になれる日常を守ってきたことも、内村さんの幼少期を知るうえで印象的です。

内村航平の豆知識③|東京の電車通学は最初の2週間が大変だった

15歳で長崎から東京へ移った内村さんは、初めての電車通学に苦労しました。クラブのある千歳烏山から水道橋の学校へ向かう乗り換えが複雑で、高校入学から約2週間は遅刻が続いたそうです。体操の難しい技とは違う、東京での生活そのものが新しい挑戦だったのです。

普段の立ち姿にも表れていた美しさへのこだわり

内村さんが追求してきた美しさは、競技場の中だけのものではありませんでした。

2019年の『GQ JAPAN』のインタビューでは、日常生活でも自分が周囲からどのように見えるかを意識しており、特に立ち姿を大切にしていると語っています。

美しい体操をする選手は、普段の立ち姿にも美しさが表れると考えていたそうです。

体操では、腕や脚の伸ばし方、身体のライン、動きと動きのつながり、静止する瞬間までが演技の印象を左右します。

長年その美しさを追求してきた内村さんにとって、姿勢は競技のためだけに意識するものではなく、日常生活の所作とも結びついていました。

時計が好きで、身につけるときの見え方にもこだわりがあると語ったこともあります。

競技者としての美意識が、立ち姿やファッションにまで自然に広がっているところに、内村さんならではの感覚が表れています。

4.内村航平の筋トレ・柔軟性と身体づくり|世界一の美しい演技の裏側

最後の着地から逆算する演技へのこだわり

内村さんの演技の大きな特徴は、難しい技を高い精度で成功させるだけでなく、観客が美しいと感じる体操を追求してきたことです。

2019年の『GQ JAPAN』のインタビューでは、特に着地を大切にしていると語っています。

その理想は、ただ両足をそろえて止まることではありません。会場全体の時間が一瞬止まったかのように感じられる、印象的な着地を目指していました。

2024年のインタビューでは、演技の構成を最後の着地から逆算して考えていたことも説明しています。

難しい技を組み合わせるだけでなく、演技の終盤まで身体を正確に制御できるよう、技の流れや負担を考えていたのです。

体操では、空中で描く軌道にも選手それぞれの特徴が表れます。回転の高さや身体の伸ばし方、素早い動きと静かな動きを組み合わせることで、演技全体に独特の美しさが生まれます。

2024年の取材では、ロンドン五輪の個人総合での跳馬と、リオ五輪の個人総合での鉄棒を、自身でも納得できた演技として挙げています。

特にリオ五輪では、最後の鉄棒で逆転し、個人総合2連覇を達成しました。世界中が注目する場面で、長年追い求めてきた演技を実現できたことは、特別な記憶になっているのでしょう。

筋力だけでなく、身体を思いどおりに動かす技術

内村さんの身体づくりを語るうえで大切なのは、筋肉の大きさだけでなく、身体を自在に使いこなす技術です。

体操競技では、空中で身体を回転させ、正しい方向を向き、着地で静止するために、全身を細かくコントロールする必要があります。

内村さんは、人より多く練習することに加え、一つひとつの動きを理解し、同じことを繰り返すなかでも新しい工夫を重ねていました。

体操の採点ルールは定期的に変更されるため、その内容を理解し、求められる技術に合わせて練習方法を工夫してきました。

技を何度も成功させ、安定したところから、さらに完成度を高める。その積み重ねが、世界一の演技を支えていました。

ジュニア世代の選手が優れた技を披露していると、自分から身体の動かし方を質問することもあったといいます。

世界一になってからも、自分の経験だけに頼らず、新しい技術から学ぼうとしていたのです。

また、長年の体操経験を通して、自分の身体がどの位置にあるのかを感じ取る感覚を磨いてきました。倒立のような基本動作にも、その感覚が表れています。

練習では技を完成させるだけでなく、同じ動きを安定して繰り返せることを重視していた点にも、内村さんならではのこだわりがあります。

内村航平の豆知識④|本人が「最もお世話になった」と語る鉄棒の技

2021年の公式選手プロフィールで、内村さんは鉄棒の「伸身新月面おり」を、自分が最もお世話になった技として挙げています。数多くの難しい技を完成させてきた内村さんにも、競技人生を通して特別な思いを持つ技がありました。

けがとの闘いと、引退後の登山で感じた身体の変化

輝かしい記録の一方で、競技人生の後半はけがとの闘いでもありました。

2017年の世界選手権では左足首を負傷し、大会を途中棄権。2018年には右足首を痛め、2019年には肩の問題などもあり、世界選手権代表入りを逃しました。

それまで当たり前にできていた練習を続けることが難しくなり、身体の変化と向き合う時間が増えていきます。

現役最後の時期には鉄棒1種目に競技の中心を移し、2021年の東京オリンピックへ挑戦しました。

2022年の引退会見では、自分が世界一になるために必要だと考えていた練習を、以前のように積めなくなったことが大きな判断材料だったと語っています。

また、2016年のリオ五輪で個人総合と団体の金メダルを獲得した後には、一度は競技人生を終えることも考えたそうです。しかし、次のオリンピックが東京開催だったことが、新しい目標になりました。

自国開催のオリンピックを目指して競技を続けた内村さんは、2022年3月に約30年間の体操人生へ区切りをつけます。

引退直後には、これまでと違う運動に挑戦する機会も生まれました。

2026年3月に公開されたテレビ長崎の交流記事では、最後の演技会の数日後に高尾山へ登ったことが紹介されています。

長年体操で身体を鍛えてきた内村さんですが、登山では予想以上の大変さを感じ、数日間にわたる筋肉痛も経験したそうです。

特に興味を持ったのが、山を下りるときの身体の使い方でした。石や段差のある道を進むには、足元の状態を確かめながら、バランスを細かく調整する必要があります。

体操とは異なる運動に取り組むことで、身体の使い方について新しい発見があったのです。

引退後には、意識的に約1か月間運動を休んでみた経験も語っています。その後、再び倒立をすると、以前は当たり前にできていた静止が難しくなっていたそうです。

世界一の選手であっても、身体の状態は生活によって変わっていきます。内村さんはそうした変化を自分で確かめながら、現在も身体を動かす習慣を続けています。

5.内村航平の睡眠・入浴・集中力|分単位で整えていた生活習慣

8時間睡眠と身体に合わせた寝具

食生活では独特な習慣を持っていた内村さんですが、睡眠については長年大切にしてきました。

2021年6月、寝具メーカーとのスポンサー契約会見では、毎日8時間眠るという自分なりのルールを設けていると明かしています。

また、体操選手ならではの逆三角形の体形が、睡眠時の悩みにつながっていたことも語っています。

肩幅が広いため横向きで眠ると肩が気になり、朝起きたときに肩の痛みを感じることがあったそうです。

そこで、自分の体形に合う寝具にも関心を持つようになりました。

2025年の暮らしに関する取材でも、現役時代から使ってきたオーダーメイドのマットレスを、その時点でも使用していると説明しています。

自分の身体の特徴を理解し、休みやすい環境を整えることも、内村さんにとっては競技生活を支える大切な習慣でした。

洗顔や歯磨きまで同じ順番にしていたルーティン

2026年の『Tarzan』では、現役時代の十数年間、日々のスケジュールをほぼ分単位で固定していたことが明かされました。

朝起きて午前の練習へ向かい、一度帰宅してから午後の練習へ戻る。その後は夕食を取り、入浴して就寝するという流れです。

洗顔や歯磨きの順番まで毎日同じにしており、遠征先でも基本的には同じ生活のリズムを保っていたそうです。

こうした習慣を始めたのは、大学生の頃に世界選手権の個人総合で初優勝した時期でした。

世界一になったときの調子をどうすれば維持できるのかを考え、好調だった日の生活を再現するようになったのです。

会食などの誘いも、断れるものは断り、練習と休息の時間を優先していました。

一方、休日には昼頃まで眠り、その後は体操の動画を見て研究することも多かったそうです。

2025年のインタビューでは、現役時代の休日に12時間以上眠ったことや、海外遠征から帰国した後に長時間眠って過ごしたこともあると振り返っています。

そして引退後には、休むことへの考え方にも変化が生まれました。

現役時代は練習を休むことへの不安が強かったものの、引退後には休養を取りながら身体を動かす生活ができるようになり、その大切さを改めて感じたと語っています。

試合前のポーズと集中力へのこだわり

内村さんの演技を見たことがある人なら、試合前に顔の前で両手を上下に並べる独特な動作を覚えているかもしれません。

本人によれば、もともとは身体の軸がぶれないようにするために始めた動きでした。

それが長い競技生活のなかで、次第に集中力を高めるためのスイッチになっていったそうです。

試合本番では、練習で積み重ねてきた身体の感覚を信じ、演技に集中することを大切にしていました。決まった動作をすることも、そのためのきっかけになっていたのです。

内村さんは、必要な場面で集中するために、普段は意識的に集中を切ることも大切にしていたと話しています。

また、2026年3月のテレビ長崎の交流記事では、オリンピックの結果を考える際にも、大会当日までにどれだけ準備してきたかを重視する考え方が紹介されています。

本番の一瞬だけではなく、そこへ向かう日々の積み重ねを大切にすることが、内村さんの競技人生を支えていました。

内村航平の豆知識⑤|試合前に聴いていた音楽はAK-69

2021年の公式選手プロフィールで、内村さんは試合前に聴く音楽としてAK-69の名前を挙げています。世界中の注目を集める演技の前にも、好きな音楽を聴きながら気持ちを整える時間がありました。

6.内村航平の家族・結婚と人物像|両親、妹、二人の娘

内村航平さんの競技人生は、家族の存在と深く結びついています。

父親の和久さんと母親の周子さんは、長崎県諫早市で体操クラブを運営し、航平さんと妹の春日さんを育ててきました。

周子さんは体操の指導に加えてバレエの指導にも携わり、子育てや教育について講演する活動も行っています。

幼い頃から両親の姿を身近に見て育った内村さんは、2021年の公式選手プロフィールでも、尊敬する人物として父親と佐藤コーチの名前を挙げています。

世界の頂点に立ってからも、自分を支えてきた人たちへの思いを持ち続けていたことがうかがえます。

私生活では、2012年11月11日に大学の体操部の後輩だった女性と結婚しました。

2013年4月19日には長女が誕生。その後、二人の娘の父親になったことも公表されています。

2021年当時の公式プロフィールには、妻、娘二人、犬一匹という家族構成が紹介されていました。

世界一を目指す競技生活のなかで、家族を持ち、父親としての経験も重ねてきた内村さん。厳しい競技者としての姿とはまた違った一面です。

内村航平の豆知識⑥|長女の誕生に立ち会い、喜びを語った

2013年4月に長女が誕生した際、内村さんは出産に立ち会ったことが報じられています。当時の取材では、生まれたばかりの娘のかわいらしさを率直な言葉で喜んでいました。世界の舞台で見せる冷静な表情とはまた違う、父親としての自然な姿が伝わる出来事です。

引退後には、父親とゴルフを楽しむ時間も生まれました。

2025年のインタビューでは、長崎の実家へ帰ると父親と一緒にゴルフをすることがあると語っています。

幼い頃は父親から体操を学び、大人になって世界の頂点に立った内村さん。競技生活を終えた後、今度は別のスポーツを通して父親と時間を共有するようになりました。

幼少期の体操、競技者としての独立、結婚、父親としての経験、そして引退後の新しい生活。家族との関係にも、長い年月のなかでさまざまな変化が生まれています。

7.内村航平の趣味・交友関係|ゴルフ、漫画、体操仲間、ニュージーランドとの接点

引退後に始めたゴルフと自宅での暮らし

長年、生活の中心に体操があった内村さんですが、引退後には新しい趣味としてゴルフを始めました。

2023年頃のインタビューでは、ゴルフ選手のスイング動画を熱心に研究していると語っています。何度も映像を見るうちに、後ろ姿だけで誰なのか分かるほど詳しくなったそうです。

体操とゴルフは異なる競技ですが、自分の身体を細かく動かし、理想の動作を追求するという点に共通する面白さを感じているといいます。

2025年の取材では、自宅で素振りやパターの練習をすることもあると話しています。

また、偶然購入した毛足の長いカーペットがお気に入りで、ストレッチをするときにも利用しているそうです。

自宅ではマットレスを敷いて倒立や回転運動をすることもあり、現役を引退した後も体操の動きを生活のなかに取り入れています。

こうした高度な動きは、長年の体操経験を持つ内村さんならではのものです。

一方、漫画やゲーム、動画配信の作品を楽しむ時間も増えました。

2021年の公式プロフィールでは、好きな漫画として『北斗の拳』、当時のマイブームとして『モンスターハンターライズ』を挙げています。

スニーカーのコレクションにも関心があり、2025年の取材ではお気に入りのエアジョーダンについて語っていました。

現役時代には練習場に近い場所に住み、移動時間を少しでも短くすることを優先していました。

一方、引退後には全国各地で仕事をする機会が増え、住まいを選ぶ際も空港へのアクセスを重視するようになったと語っています。

競技のために時間を整える暮らしから、仕事、趣味、休養を組み合わせる暮らしへ。自分が大切にしたいものを楽しむ時間が増えていきました。

内村航平の豆知識⑦|金メダルより目立つ場所にあるもの

2025年の暮らしのインタビューで、内村さんはオリンピックのメダルについて、おそらく段ボールの中にあると語りました。一方、お気に入りのエアジョーダンは飾っているそうです。世界的な実績を残した選手の日常に、気取らない人柄が感じられるエピソードです。

白井健三、村上茉愛、橋本大輝とのつながり

引退後の内村さんは、体操の美しさを多くの人に伝えるイベントにも取り組んでいます。

2022年12月には福岡県北九州市で「体操展-動く芸術-」を開催しました。

白井健三さん、田中佑典さん、村上茉愛さん、田中理恵さん、杉原愛子さんらも出演し、競技の得点を争うのではなく、体操の動きそのものを観客に届けました。

現役時代には日本代表として世界の舞台を目指してきた仲間たちが、今度は体操の美しさを伝えるために集まったのです。

また、2024年のパリオリンピックでは、内村さんはNHKのアスリートナビゲーターを務めました。

体操界の後輩である橋本大輝さんについても、自分と比較されることにとらわれず、自分らしい体操を大切にしてほしいという思いを語っています。

2026年10月に公開された二人の対談では、橋本さんが中学生の頃、内村さんと初めて会ったときの思い出を振り返りました。

憧れの選手だった内村さんと、後に日本代表の合宿で同じ食卓を囲むようになった経験は、橋本さんにとって印象深い出来事だったようです。

かつて日本体操界を牽引してきた内村さんと、次の世代を担う橋本さん。二人の交流からは、競技経験や価値観が世代を超えて受け継がれていく様子が感じられます。

ニュージーランド出身のリーチマイケルとの対談

2026年8月には、ニュージーランド出身のラグビー日本代表選手、リーチマイケルさんとの対談が公開されました。

二人は同学年で、異なる競技の世界を経験してきたアスリートです。

対談では、練習の量と質、プレッシャーへの向き合い方、年齢とともに変化する身体について語り合いました。

内村さんは、若い選手の動きからも積極的に学んできたことを説明し、リーチさんも自身の練習への考え方を紹介しています。

さらに印象的なのは、内村さんが年齢による身体の変化にも興味を持っていることです。

以前できていた動きが難しくなることも、身体を研究するうえでは新しい発見につながる。そんな考え方からは、競技を引退しても変わらない探究心が伝わってきます。

体操とラグビーでは求められる動きが大きく異なりますが、自分の身体を理解しようとする姿勢には共通するものがありました。

ニュージーランド出身の選手との交流は、内村さんの身体づくりや競技観を、別のスポーツから見つめる興味深い機会になりました。

8.37歳の内村航平が伝える健康観|体操アカデミーとこれから

2026年に始まったUCHIMURA SPORTS ACADEMY

2022年3月に現役を引退した内村さんは、その後も体操の普及活動を続けてきました。

全国で講演会や体操教室に参加し、子どもたちだけでなく、高齢者向けのストレッチ教室などにも取り組んでいます。

そして2026年4月6日、自身がプロデュースする「UCHIMURA SPORTS ACADEMY」の横浜本校が開校しました。

このアカデミーの特徴は、難しい体操の技を習得することだけを目標にしていない点です。

走る、跳ぶ、回る、止まるという基本的な動きを大切にし、身体を自分の思いどおりに動かす感覚を育てることに力を入れています。

2026年3月の報道では、内村さんが100種類以上の動きを取り入れたプログラムを考案したことも紹介されました。

幼児クラスでは、クマの動きをまねるような運動を実演。子どもたちが遊びながら、さまざまな身体の動きを経験できる教室を目指しているそうです。

内村さんが長い競技人生で追求してきたのは、力の入れ方、身体の軸、重心の移動など、身体を正確に使うための基本でした。

それらは体操だけでなく、さまざまなスポーツにも共通する身体の使い方です。

アカデミーでは、世界一になるために積み重ねてきた経験を、子どもたちが身体を動かす楽しさを知るためのプログラムとして伝えています。

内村さん自身も、アカデミーの活動を長年の競技人生の答え合わせという趣旨で語っています。

競技引退後も続く身体への探究心

現役時代の内村さんは、世界一の演技を完成させるために、生活の多くを体操へ向けていました。

食事の時間を決め、睡眠を大切にし、毎日の練習を積み重ねる。すべてが自分の演技を高めることへつながっていました。

引退後は、新しい運動に挑戦する機会も増えました。ゴルフや登山を通して、体操とは違う身体の使い方を知り、自分自身の変化にも関心を持つようになったのです。

また、全国で体操を教える活動を続けるなかで、これまで当たり前にできていた動きを、初めて経験する人に分かりやすく伝える難しさにも向き合っています。

世界一の選手として技を完成させることと、子どもたちにその基本を教えることは、同じ体操でも異なる挑戦です。

今の内村さんは、その新しい挑戦を楽しみながら、自身の経験を次の世代へ伝えています。

内村航平の豆知識⑧|体操を「終わりのないRPG」に例えた

2026年にリーチマイケルさんと対談した際、内村さんは体操をゲームのRPGに例えました。レベル100で終わりかと思うと、その先にさらに高いレベルがあるような感覚だったそうです。世界一になっても、技術を極める道にはまだ先がある。ゲーム好きな内村さんらしい表現です。

まとめ|世界一の経験から広がる身体との付き合い方

内村航平さんの美容・健康に関する習慣を詳しくたどると、世界の頂点に立つまでに積み重ねてきた工夫と、引退後に生まれた新しい価値観が見えてきます。

現役時代には1日1食という独特な食生活を送りながら、睡眠時間を大切にし、毎日の行動を細かく整えていました。

幼少期には肌の悩みに家族とともに向き合い、成長してからは美しい姿勢、正確な身体の動き、練習の積み重ねを追求してきました。

競技人生の後半にはけがを経験し、引退後には休養の価値を見直すようになりました。

そして現在は、ゴルフや登山など新しい運動から刺激を受けながら、体操アカデミーを通して次の世代へ身体を動かす楽しさを伝えています。

内村さんの独特な食生活や競技のための習慣は、本人が長年の経験をもとに選んできたものです。食生活については、本人もほかの人に真似することを勧めていませんでした。

一方で、自分の身体に関心を持つこと、好きなことを長く楽しむこと、年齢や生活環境に合わせて新しい可能性を見つけることには、内村さんの歩みから感じ取れる考え方があります。

世界一を目指した約30年間の競技人生を経て、今度は次の世代へ身体を動かす喜びを伝える内村航平さん。その新しい挑戦にも、これまでと変わらない探究心が息づいています。

参考情報

  1. SUUMOタウン|内村航平さんの少年時代・自転車通学・上京後の生活
  2. テーブルマーク|内村航平・田中佑典・加藤凌平の食生活と競技に関する座談会
  3. CHANTO WEB|内村周子さんが語る幼少期の肌と家族の経験
  4. Tarzan Web|内村航平の集中力と毎日の生活ルーティン
  5. Lnote|内村航平の暮らし、睡眠、趣味と引退後の生活
  6. GQ JAPAN|内村航平が語る美しい体操とオリンピック
  7. Number Web|内村航平とリーチマイケルの対談
  8. KTNテレビ長崎|内村航平さんと私・引退後の登山と交流

※本記事は公開情報や本人インタビューをもとに構成しています。紹介する習慣は取材当時の内容を含みます。

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