宇多田ヒカルの美容法・健康習慣|メイク・白髪・ヘアケア・食生活・睡眠・精神分析

宇多田ヒカルの美容法・健康習慣|メイク・白髪・ヘアケア・食生活・睡眠・精神分析

OBARASOTARO

15歳で日本の音楽シーンに鮮烈なデビューを飾り、「Automatic」「First Love」をはじめ、数々の名曲を生み出してきた宇多田ヒカルさん。日本語と英語を自在に行き来する歌声、心の奥にある感情を繊細に描く歌詞、独創的な音楽性は、世代や国境を越えて多くの人々を魅了しています。

そんな宇多田さんの美容法や健康習慣を調べると、華やかなステージからは想像できない、親しみやすくユーモアあふれる日常が見えてきます。

15歳頃から好んでいたチークを使わないメイク、旅行先にも持参していた愛用のシャンプーとコンディショナー、25歳で初めて挑戦したジェルネイル。好きな食べ物には納豆巻きやサバの味噌煮が登場し、水やブラックコーヒーを好んでいた時期のエピソードも本人の公式日記に残されています。

2026年、43歳になった宇多田さんは、白髪や年齢を重ねることへの率直な思いも語りました。外見の変化と向き合いながら、自分にとって心地よい選択を考える姿勢には、若い頃から大切にしてきた美容観が重なっています。

さらに、10代からの歌手としての身体管理、19歳で経験した療養、20代の睡眠や体調の変化、30代から長く取り組んできた精神分析、出産後に変わった生活リズムなど、心と身体への向き合い方も興味深いものです。

ロンドンでの子育て、スケッチを描く時間、道端の落とし物を写真に撮る趣味、料理への挑戦、音楽制作の裏側まで。宇多田さんを初めて知る方にも、昔からのファンにも楽しめるエピソードが数多くあります。

今回は1999年から2026年までの本人インタビューや公式日記を中心に、宇多田ヒカルさんの美容法・メイク・ヘアケア・ネイル・食生活・水分補給・健康管理・運動・睡眠・心のケア・家族・趣味を、具体的なエピソードとともに詳しくご紹介します。

1. 宇多田ヒカルの経歴・代表作・結婚・家族|15歳のデビューからロンドン生活まで

『First Love』で社会現象を起こした15歳の歌姫

宇多田ヒカルさんは1983年1月19日、アメリカ・ニューヨーク生まれ。父親は音楽プロデューサーの宇多田照實さん、母親は歌手の藤圭子さんです。

幼少期から日本とアメリカを行き来し、音楽が身近にある家庭で育ちました。日本語と英語の両方に親しみながら、子どもの頃から歌や楽曲制作に取り組んでいました。

1998年12月、15歳でシングル「Automatic/time will tell」をリリース。翌1999年3月に発売されたファーストアルバム『First Love』は記録的な大ヒットとなり、日本国内のアルバム売上で歴史的な記録を残しました。

その後も「Can You Keep A Secret?」「traveling」「光」「Flavor Of Life」「Beautiful World」など、時代を代表する楽曲を次々に発表します。

「Can You Keep A Secret?」はドラマ『HERO』、「Flavor Of Life」は『花より男子2(リターンズ)』、「Beautiful World」は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のテーマソングとしても知られています。

ゲーム『KINGDOM HEARTS』シリーズの「光」「Passion」「Face My Fears」も、世界中のファンに親しまれてきました。「光」の英語版として知られる「Simple And Clean」は、海外で宇多田さんの音楽を知るきっかけとなった代表曲の一つです。

2016年にはNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」や「真夏の通り雨」を発表し、アルバム『Fantôme』で本格的に音楽活動を再開。その後も『初恋』『BADモード』、2024年のベストアルバム『SCIENCE FICTION』へと創作の幅を広げています。

2026年には、子どもの頃から親しんでいたアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディング主題歌「パッパパラダイス」を担当。15歳のデビューから長い年月を経ても、新しい音楽や表現への好奇心を持ち続けています。

ちょっと豆知識①|少女漫画誌『りぼん』にギャグ漫画を投稿!

子どもの頃は音楽だけでなく漫画にも興味があり、少女漫画誌『りぼん』にギャグ漫画を投稿した経験があります。幼い頃から自分で物語を考え、ユーモアのある表現を楽しんでいたそうです。歌詞や公式日記に登場する独特の言葉遊びにも、そんな一面が感じられます。

2度の結婚と離婚、息子の誕生、そして「人間活動」

プライベートでは、2002年に写真家・映画監督の紀里谷和明さんと結婚し、2007年に離婚しました。

2014年にはイタリア人の一般男性と再婚し、イタリアで結婚式を挙げたことを本人が公式サイトで報告。2015年7月には第一子となる男の子の誕生を公表しました。その後、2018年には2度目の離婚が報じられています。

母・藤圭子さんは2013年に亡くなりました。宇多田さんは母の歌声と才能を深く尊敬しており、その存在は音楽や人生についての考え方にも大きく関わっています。

そんな宇多田さんの人生を語るうえで欠かせないのが、2010年に発表した「人間活動」です。

15歳から大きな仕事を続けていたため、家の契約や引っ越し、日常の買い物など、暮らしの多くを周囲のスタッフが支えてくれていたそうです。

音楽を自分で作り、仕事では自分の意見を持っていても、日常生活のさまざまなことを自分で経験する機会は限られていました。そうした状況に気づき、音楽活動を一時休止して、生活そのものを自分で築く時間を持つことにしました。

ロンドンでの暮らしでは、自分で必要なことを決め、日常生活を営み、友人と交流する経験を重ねていきます。

後年のインタビューでは、自分の力で生活しているという実感が、自信を持つうえで大切だったと振り返っています。

「人間活動」は、音楽以外の世界を知る時間であるとともに、後の創作や家族との暮らしにつながる大きな転機となりました。

2. 宇多田ヒカルの美容法|メイク・ヘアケア・ネイルと43歳の美容観

チークを使わないメイクと、愛用ヘアケア用品の意外な話

宇多田ヒカルさんの美容について興味深いのは、デビュー当時から自分の好きなスタイルを持っていたことです。

2012年8月に本人がSNSで語った内容として、15歳頃からメイク担当者にチークを使わないよう伝えていたというエピソードが紹介されています。

当時の普段のメイクでは肌色のクリームを使い、目尻や上まぶたにアイラインを引く、すっきりとした仕上がりを好んでいたそうです。

アイライナーを買っていたのはコンビニエンスストア。ドラッグストアは商品の種類が多く、どれを選ぶか迷ってしまうという理由だったと伝えられています。

自分が好きな仕上がりや使いやすさを基準にメイク用品を選ぶという、親しみやすいエピソードです。

一方、ヘアケアについては、本人の公式日記に具体的な記録が残されています。

2006年5月、ニューヨークの自宅から離れたホテルに滞在していた宇多田さんは、普段から愛用しているシャンプーとコンディショナーを自分で持参していました。

ボディーウォッシュとボディーローションについてはホテル備え付けのものを使用。気に入ったため、残りを持ち帰りたくなるほどだったそうです。

ところが、滞在中のある朝、ボディーウォッシュだと思って約1週間使っていた容器に「SHAMPOO」と書かれているのを発見。

なんと、身体を洗うつもりでホテルのシャンプーを使っていたのです。

本人はこの出来事を「シャンプーショック」と題して公式日記に投稿。その驚きぶりがユーモアたっぷりで、思わず笑ってしまいます。

使い慣れたヘアケア用品を旅先にも持参しながら、新しいボディーケア用品との出会いも楽しむ。美容に関する日常の一場面からも、宇多田さんの自然体な性格が見えてきます。

ちょっと豆知識②|首相官邸へ急いでいるのにシャンプーを戻す?

2002年の公式日記では、シャンプーやボディーローションを出しすぎたとき、チューブを押して中へ戻そうとしていた習慣を紹介。首相官邸へ行くため急いでいるときにも、つい同じことをしていた自分に驚いたそうです。身近なものを最後まで大切に使おうとする、意外な一面が見えてきます。

25歳で初めてのジェルネイル!深田恭子との交流も

2008年2月20日、25歳だった宇多田さんは、人生で初めてネイルサロンを訪れたことを公式日記に書いています。

それまでは爪切りで短く整えるのが基本。ピアノやギターを弾く生活だったため、ネイルサロンには縁がないと思っていたそうです。

ところが、テレビや雑誌の撮影が続き、マニキュアを何度も塗り替えるうちに、もともと弱かった爪が傷んでしまいました。

二枚爪の間にネイルカラーが入り込んだり、爪の端が割れたりすることもあったそうです。

そこで、メイク担当者からジェルネイルを紹介され、友人の深田恭子さんにネイルサロンを教えてもらうことに。

初めて見る道具や聞き慣れない言葉に驚きながら、ネイル体験を楽しみました。

ネイルアートについて相談する際には、マイケル・ジャクソンの似顔絵を描けるか尋ねたことも。好きなアーティストを爪の上に描いてもらおうという発想が、宇多田さんらしいですね。

仕上がった爪の形やつるつるした表面を喜び、写真まで公開していた宇多田さん。音楽家としての爪の扱いと、新しい美容を楽しむ好奇心が感じられるエピソードです。

ちょっと豆知識③|学校では静かな子、頭の中では冗談を考えていた

ニューヨークの学校では静かな子と思われていたという宇多田さん。しかし本人の頭の中では、面白いことや冗談を考えていたそうです。公式日記に登場する豊かなユーモアとのギャップが、なんとも魅力的です。

黒髪から茶髪、43歳の白髪への思いまで

ヘアスタイルについても、宇多田さんは若い頃から自分なりの考え方を持っていました。

1999年の公式日記では、黒い髪そのものが好きだったことや、外見だけで特定のイメージを持たれたくなかったことを語っています。

一方、2008年には髪を茶色くした理由をユーモラスに紹介。大好きなくまのぬいぐるみに近づきたかったという、意外な発想があったそうです。

くまの耳を模したアイテムを購入し、自分の髪色との組み合わせを楽しんでいました。

また、ショートヘアにしていた頃は、髪が伸びる速さが気になり、頻繁に切りに行くこともあったといいます。

そして2026年5月、43歳になった宇多田さんは、ラジオ番組『宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン スペシャル 2026』で、年齢を重ねることへの思いを語りました。

40歳を迎えたときには、ここまで元気に生きてこられたことへの喜びがあったそうです。

一方、白髪については、黒髪の中に出始めると目立ちやすく、気になる気持ちがあると説明。これからずっと染め続けることを考えると、それも大変そうだと率直に話していました。

年齢を重ねたときの美容について、宇多田さんは自分なりの基準を持っています。

健康で元気に過ごすことにもつながり、その結果として若々しく見えるような取り組みには関心がある。一方、身体への負担が気になる方法については、自分の気持ちを確かめながら選びたいという考え方です。

さらに、美容の選択は一人ひとり自由であり、それぞれが好きなように決めればよいという姿勢も示しています。

15歳頃のメイクへのこだわり、20代の自由なヘアカラー、43歳での白髪との向き合い方。時代とともに見た目は変わっても、自分の気持ちを尊重する姿勢が続いていることがわかります。

なお、2021年にはSHISEIDOのグローバルキャンペーン「POWER IS YOU」に参加。内面的な美しさや自分らしさをテーマにした活動にも登場しています。

美容を楽しむことと、自分を大切にすること。その両方が、宇多田さんの美容観を知る手がかりになっています。

3. 宇多田ヒカルの食生活|納豆巻き・サバの味噌煮・焼き肉・手料理

納豆巻きへの情熱と、魚料理・焼き肉の思い出

宇多田さんの食生活で、特に印象的なのが納豆巻きへのこだわりです。

2006年6月15日の公式日記によると、当時はコンビニで納豆巻きをよく購入し、リハーサルスタジオで食べていたそうです。

納豆の粒と米粒の大きさ、食感の違い、海苔の風味まで、本人は驚くほど細かく説明しています。

しかし、納豆巻きには一つの悩みがありました。最後の方になると、下から納豆がこぼれてしまうことです。

そこで、海苔の重なった部分を少しちぎり、底に当ててふたにする方法を考案。写真を何枚も撮り、その発見を公式日記で紹介しました。

2007年には、制作中の楽曲に「Day of Nattow」という仮タイトルを付けたこともあり、納豆への愛情は音楽制作の現場にまで登場しています。

ほかに、サバの味噌煮も好きな料理の一つです。

2007年3月には、1週間に4回もサバの味噌煮を食べたことを報告。ドラマ『花より男子2(リターンズ)』を見ながら、サバの味噌煮弁当を食べていたというエピソードもあります。

そのドラマでは、宇多田さん自身の楽曲「Flavor Of Life」が使用されていました。自分の歌が流れる人気ドラマを見ながら、好きな魚料理を味わっていたというのが印象的です。

焼き魚と大根おろしの組み合わせを、音楽のメロディーやハーモニーになぞらえて語ったこともありました。

そして2008年1月19日、25歳の誕生日には、友人たちが焼き肉をごちそうしてくれました。

特に気に入ったのはハラミ。おいしさをゆっくり味わいたくて、飲み込むのが惜しいと感じるほどだったそうです。

その日は渋谷で買い物も楽しみ、ワンピースを購入。友人との食事と買い物を満喫した、楽しそうな誕生日でした。

17歳の頃には、午後3時に起きてタバスコをたっぷりかけたパスタを食べたことも公式日記に残されています。

納豆、魚料理、焼き肉、辛いパスタ。食べ物の味や食感を細かく楽しみ、ユーモラスな言葉で表現するところにも、宇多田さんの個性が表れています。

ちょっと豆知識④|歌詞を書くペンも、こだわって選んでいた

2002年の公式日記には、気に入ったペンを1本選び、最後まで使い切るという話も登場します。東京・銀座の伊東屋へペンを探しに行った際には、あまりの種類の多さに迷ってしまったそうです。食べ物だけでなく、身近な道具を選ぶときにも宇多田さんらしい好奇心が感じられます。

料理初心者から、自分で作る楽しみを発見

若い頃は音楽活動が忙しく、料理をする機会も限られていた宇多田さん。

2007年には、引っ越しをきっかけに調理器具をそろえ、友人と料理に挑戦するようになったことを語っています。

実際の料理経験は少なかった一方、学生時代の家庭科では料理の成績がAだったそうです。

卵を片手で割ることはできるのに、両手で割る方法が苦手だったという、意外な話もあります。

2010年4月23日には、フライパン「レミパン」を使って料理する様子を、公式日記で何度も投稿しました。

調味料の量に悩んだり、盛り付けに苦戦したりしながらも、完成した料理をうれしそうに披露。自分で作り上げたことへの満足感が伝わる記録です。

料理をする過程で、新しいことを覚え、自分なりに工夫してみる。その楽しさは、後にロンドンで自分の暮らしを築いていく経験ともつながっていきます。

音楽以外の分野でも、小さな発見を喜びながら挑戦する宇多田さん。公式日記には、そんな日常の姿が生き生きと残されています。

4. 水分補給・飲み物・入浴習慣|水とブラックコーヒー、日々のリラックス

水とブラックコーヒーを好んでいた音楽制作の日々

宇多田さんが日常的に飲んでいたものについては、2006年5月3日の公式日記に具体的な記録があります。

当時は普段、主に水とブラックコーヒーを飲んでいたそうです。

スタジオには紅茶やアイスココアなども選べる自動販売機がありましたが、約7年間ほとんど利用したことがなかったといいます。

また、2002年の公式日記では、スターバックスのさまざまなコーヒー豆を一袋ずつ飲み切りながら、自分にぴったりの味を探していると書いていました。

好きな飲み物を楽しみながら、豆の違いを試してお気に入りを探していたところが面白いですね。

2007年には、コーヒーメーカーで1.5杯分ほどを作って飲んだものの、歯磨きの直後だったため、口の中で味が混ざって驚いたという話も残っています。

宇多田さんにとって、水やブラックコーヒーは、当時の仕事場や日常生活に自然になじんでいた飲み物だったようです。

そんな宇多田さんが、ある日スタジオで久しぶりに甘い飲み物を選びました。

朝食を食べ忘れてお腹が空いていたため、自動販売機で冷たいコーヒー牛乳を購入。小学生の頃以来の味に思わず感激したそうです。

興奮して周囲に感想を伝えようとしたところ、コーヒー牛乳を「ミルク牛乳」と言い間違えてしまったのだとか。

本人もその間違いを面白がっており、スタジオの和やかな雰囲気が目に浮かびます。

2008年には、入浴後に牛乳を飲む楽しみについても語っています。

テレビや雑誌の撮影でメイクや整髪料を重ねた日は、帰宅してシャワーで洗い流す時間が気持ちよかったそうです。

仕事を終え、身体を洗ってさっぱりし、好きな飲み物を楽しむ。忙しい音楽活動の中にも、そんな身近な楽しみがありました。

ちょっと豆知識⑤|『はじめの一歩』が名曲の歌詞に影響?

宇多田さんは漫画やアニメにも親しんできました。2002年には漫画『はじめの一歩』に夢中になっていたことを明かし、「SAKURAドロップス」の歌詞にも少し影響があったと語っています。音楽とは別の趣味から、思いがけず楽曲のヒントが生まれることもあるのですね。

5. 健康管理・運動・発声法|歌手として身体と向き合ってきた経験

16歳で語った発声法と、17歳のリハーサルで感じた変化

宇多田ヒカルさんの歌声は、デビュー当時から独特の響きや表現力で注目されてきました。

1999年3月、16歳だった宇多田さんは、公式日記で自分の歌い方について説明しています。

当時は腹筋を使って力強く歌っているという分析もありましたが、本人の感覚は少し違っていました。

むしろ身体の力を抜き、頭から足先までが一つの楽器としてつながっているような感覚で歌っていると説明しています。

翌2000年7月、17歳になった宇多田さんは、ツアーのリハーサルを通じて声のコンディションが変わってきたことにも驚いていました。

前年の初ライブでは、1週間ほどのリハーサルでも声がかすれ、別の公演でも翌日に喉の不調を感じることがあったそうです。

ところが2000年のツアーでは、約1か月間リハーサルを重ねた後でも、以前より声の調子がよいと感じていました。

本人は、練習を続ける中で声の持久力が変わってきたと受け止め、その喜びを公式日記に書き残しています。

2026年には、小学生時代にオペラやクラシック音楽を聴いていたことが、自分の歌い方に影響した可能性についても語りました。

幼少期からの音楽体験と、10代から自分の身体の感覚を大切にして歌ってきた経験。長い年月の積み重ねが、宇多田さんならではの歌声を形作ってきたのでしょう。

ちょっと豆知識⑥|歌詞は曲作りの最後に書くことが多い

宇多田さんはコードやトラック、メロディーを先に作り、その後で歌詞を考えるという制作方法を説明しています。音の響きから浮かんだ感情やイメージに、少しずつ言葉を重ねていくスタイルです。歌手としての声だけでなく、作曲と作詞の進め方にも独自の感性が表れています。

学生時代の運動経験と、ライブを支える準備

音楽家としての印象が強い宇多田さんですが、学生時代にはスポーツにも親しんでいました。

バスケットボールの試合に出場した経験があり、デビュー前には陸上部に所属していた時期もあります。

陸上部の練習では、学校に運動場がなかったため、離れた砧公園まで移動する必要があったそうです。

ところが当時は自転車に乗れず、友人の自転車に乗せてもらった際に転倒したという、少し痛そうな思い出も語っています。

1999年にはJamiroquaiのライブを友人たちと観に行き、思い切り踊って翌日の筋肉痛を心配したこともありました。

プロの歌手としては、ステージで自分の声や演奏を聴くための機材にも関心を向けています。

2006年5月の公式日記では、ツアーに向けてイヤーモニターを新調するため、耳の中の型を採ってもらった様子を紹介しました。

採取した耳型の写真も公開し、自分の耳の内部の形を興味深そうに説明していました。

2022年のコーチェラ出演では、砂漠の乾燥した環境を考慮して、普段のライブで使用していたコンタクトレンズを着けずにステージへ。

客席はぼんやりとしか見えなかったそうですが、本人はその出来事もユーモアを交えて語っています。

2024年の全国ツアーでは、公演を続けるための体調管理の難しさについても率直に話し、長く舞台に立ち続けるアーティストたちへの尊敬を示しました。

声の状態、耳元の機材、会場の環境、休息の取り方。歌を届けるための準備には、長年の経験と細やかな判断が重なっています。

19歳の療養、25歳の休養と健康への考え方

宇多田さんの健康への考え方を知るうえで、2002年の経験は大切な出来事です。

19歳だった宇多田さんは、病気が見つかり、手術と療養を経験しました。

同年8月24日の公式日記では、身体の状態が落ち着いてからも、気持ちを整理するために時間が必要だったことをファンへ伝えています。

それまで多忙な日々を送ってきた宇多田さんにとって、休養は自分の生活や仕事との向き合い方を見つめ直す機会にもなりました。

療養後の思いについては、当時の本人による公式日記にも詳しく記されています。

その後、2008年1月には、筋肉に痛みを感じて医療機関を受診したことを公式日記で報告しています。

診察では筋肉の炎症について説明を受け、医師から約1週間安静にするよう指示されたそうです。

その期間は運動やマッサージを控え、医師の指示に従って休養を取りました。原因を確認できたことへの安心感も率直に語っています。

同年11月には、身体の気になる変化をきっかけに検査を受け、人間ドックも予約しました。

その際、身体の状態や生活環境は一人ひとり異なるため、自分に必要なケアを理解することが大切だという考えも述べています。

また、検査で耳にしたMRIの機械音を、音楽の素材として面白いと感じたこともあったそうです。

医療機関での経験さえ音への好奇心につながってしまうところには、音楽家としての感性が表れています。

10代から40代まで音楽活動を続ける中で、宇多田さんは身体の変化を感じ、その時々に必要なケアや休息と向き合ってきました。

6. 心の健康・精神分析・セルフケア|自分自身との関係を育む時間

19歳で考えた「素の自分」と、約9年間の精神分析

宇多田ヒカルさんが自分自身の心と向き合ってきた歩みは、10代の頃までさかのぼります。

2002年8月の公式日記では、仕事や周囲からの期待をいったん離れ、アーティストとしての肩書きから自由になって、素の自分へ戻る時間を持ったことを説明しています。

15歳から大きな注目を浴びてきた宇多田さんにとって、自分は何を幸せと感じ、どのように生きたいのかを考える大切な機会でした。

その後、2010年には「人間活動」を宣言。そして30代からは精神分析を長く続けるようになります。

2022年の『VOGUE JAPAN』のインタビューでは、当時すでに約9年間にわたって精神分析を受けていたことを明かしました。

始めた頃は仕事を休んでいたこともあり、週5回、1回20〜30分ほどの頻度で通っていたそうです。

精神分析家に背を向け、窓の外を見ながら、自分の中に浮かんできたことを自由に話すという方法でした。

出産後には数か月ほど休み、2022年の取材時点では週3回のペースになっていました。

精神分析を始めるきっかけの一つには、家族との関係や、自分の感情を理解したいという思いがありました。

心理学に関する本を読み、友人と精神分析について話す中で専門家の存在を知り、連絡を取ったことが長い取り組みの始まりだったそうです。

宇多田さんは、幼少期の経験や身についた考え方が、大人になってからの行動や人間関係にも影響することに関心を向けてきました。

なぜ似た感情や行動が繰り返されるのか。過去の経験と現在の自分の反応を結びつけて理解することで、少しずつ自分との付き合い方が変わってきたと語っています。

歌詞に表れる感情や、まだ言葉になっていない思いを見つめることとも重なり、音楽制作に対する理解を深めるきっかけにもなったそうです。

自分を愛することと、悲しみや寂しさを受け止める考え方

宇多田さんは、自分を愛するとはどういうことなのかについても、長い時間をかけて考えてきました。

その考え方に大きく関わったのが、母親を亡くしたことと、自分自身が母親になったことです。

2022年のインタビューでは、大切な人に愛されていると感じてほしいと思って自分が行っていることを、自分自身にも向けてみるという気づきがあったと語っています。

例えば、相手の気持ちに耳を傾けたり、心地よく過ごせるように接したりする。その姿勢を自分にも向けていくという考え方です。

自分を大切にすることを、日々の行動や選択として捉えているところが印象的です。

また、宇多田さんは悲しみや寂しさ、不安などの感情についても、自分なりの考えを持っています。

楽しい感情もつらい感情も、どちらも自分の中に自然に生まれるもの。それぞれの気持ちを理解し、その存在を受け止める姿勢を大切にしています。

この考え方は、アルバム『BADモード』の制作にも関わっています。

同作では、自分の心の状態や人との関係、相手を気遣う気持ちなどが、繊細な歌詞と音楽で描かれています。

誰かと親しい関係を築くことに加え、一人で過ごしながら、自分が何を感じているのかを知る時間にも意味があると語る宇多田さん。

長年の精神分析や日常の経験を通して、自分自身との関係を丁寧に育んできたことがうかがえます。

ちょっと豆知識⑦|「Simple And Clean」は英語ならではの工夫がある

『KINGDOM HEARTS』で知られる「光」の英語版「Simple And Clean」。日本語と英語では言葉の響きやリズムが異なるため、メロディーにも工夫が加えられています。2002年の公式日記では、日本語版と英語版のメロディーについて、宇多田さん自身が制作の経緯を説明しています。

7. 睡眠・休息・生活リズム|夜型の音楽制作から子育て中心の日常へ

17歳の夜型生活と、24歳で明かした睡眠の体験

宇多田ヒカルさんの睡眠や生活リズムは、年代によって大きく変化してきました。

2000年6月、17歳だった宇多田さんは、深夜に活動することが多く、朝日を見てから眠るような生活になりやすいと公式日記に書いています。

その後、2007年8月20日には、当時の睡眠について詳しく語りました。

24歳だった宇多田さんは、眠りにつくまで最低1時間ほどかかることがあり、眠っても2〜2時間半ほどで目が覚めてしまうと説明しています。

さらに、夢の内容を鮮明に覚えていることが多く、本人の感覚では7〜8割ほどが怖い夢だったそうです。

夜中に目が覚めると、1〜2時間ほど本を読んだり、大切なくまのぬいぐるみに寄り添ったりしながら過ごすこともありました。

これは2007年当時に本人が語った睡眠の体験で、現在の習慣を示すものではありません。

同年12月には、夜の早い時間に眠くなり、午前3時半頃に目が覚める時期があったこともユーモラスに報告しています。

また、自分が疲れていると感じる瞬間についても、公式日記に詳しく書いていました。

ドアや壁に肩をぶつけることが増える、漫画を読んでも内容が頭に入ってこなくなる、携帯電話の画面を見つめているうちに焦点が合いにくくなるなど、自分の変化を細かく観察していたそうです。

一方、元気な日にはスタジオの廊下をスキップしたり、天井から下がる案内表示に届くかジャンプしたりすることもありました。

2006年にはレオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』を題材にしたジグソーパズルに夢中になり、完成後に首や肩の張り、目の疲れを感じたという話もあります。

仕事にも趣味にも夢中になり、自分の変化をユーモアを交えて伝えるところに、宇多田さんの率直な人柄が表れています。

ちょっと豆知識⑧|「ぼくはくま」は初めての童謡への挑戦

2006年、NHK『みんなのうた』で発表された「ぼくはくま」は、宇多田さんにとって初めての童謡でした。大切なくまのぬいぐるみへの愛情を感じさせる、親しみやすい作品です。長年ファンに知られるくま好きの一面が、音楽になった素敵なエピソードです。

出産をきっかけに変わった生活時間と創作スタイル

2026年の『GQ JAPAN』では、子どもが生まれる前の生活について詳しく語っています。

以前は撮影や取材がなければ、自宅で音楽制作をする時間が中心でした。朝まで作業して昼過ぎに起きることも珍しくなかったそうです。

レコーディングの開始時間も自分で決められたため、海外のプロデューサーとの仕事では深夜にスタジオへ集まることもありました。

しかし、2015年に息子が生まれると、生活は大きく変化します。

子どものペースに合わせて起き、食事や日常の用事をこなし、社会の一般的な時間帯で活動する暮らしへ。

自分だけの都合で音楽制作の時間を決めることは難しくなりましたが、限られた時間の中で集中して創作する、新しい生活が始まりました。

また、子育てや友人との交流、外出など、音楽以外の経験が増えたことで、日常の中から新しい発想を得る機会も広がっていきました。

宇多田さんにとって、一人で静かに音楽へ集中する時間と、家族や友人と過ごす時間は、どちらも大切な生活の一部です。

若い頃の夜型生活から、子どもとともに過ごす40代の暮らしへ。時間の使い方が変わる中で、創作の方法も新しい形へと発展しています。

8. 子育て・趣味・ロンドン生活|スケッチとニュージーランドとの接点

息子との暮らし、猫好き、スケッチを楽しむ時間

ロンドンで息子を育てる宇多田さんは、子どもの感情を大切にする姿勢についても語っています。

2024年のラジオ出演では、子どもが悲しんだり怒ったりしたときにも、その感情をまず受け止めようとしていると説明しました。

大人から見れば小さな出来事でも、子ども本人にとっては大切な経験です。その気持ちを尊重することを心がけているそうです。

2026年には、息子から「ママ猫」と呼ばれているという、微笑ましいエピソードも披露しました。

親子そろって猫が大好きで、一緒に猫の鳴きまねをすることもあるそうです。

宇多田さん自身も、猫好きの父親のもとで猫たちと一緒に育ちました。一人っ子だった宇多田さんにとって、猫は兄弟のような存在だったといいます。

また、息子の歌声に母・藤圭子さんの面影を感じることがあるとも話しています。

声の太さや少しかすれた響きに、母親を思い出す瞬間があるそうです。音楽に囲まれた家族ならではの、三世代をつなぐエピソードですね。

2026年のインタビューでは、絵を描くことへの関心についても語っています。

もともと子どもの頃から絵が好きで、高校生のときには美術大学への進学を考えたこともあったそうです。

久しぶりに絵を描く楽しさを味わい、少しの時間でもスケッチをすることが日常の楽しみになっていきました。

息子とお互いの似顔絵を描き合ったり、ホテルの部屋に飾られた花や植物を描いたりすることもあります。

音楽とは異なる表現方法を楽しみながら、静かに集中する時間を持つ。自分の感覚を確かめるような創作の時間です。

さらに、建築やインテリアにも関心を持ち、ロンドンの自宅の内装を考える際には、建築家ル・コルビュジエが晩年に建てた小屋から着想を得たこともあるそうです。

音楽、絵画、建築。さまざまな分野の美しさや面白さを、自分の暮らしへ取り入れています。

落とし物の写真から音楽の着想へ、そしてニュージーランドとの縁

宇多田さんのユニークな趣味として知られているのが、道端に落ちている物を写真に撮ることです。

2020年放送の『マツコの知らない世界』では、この独特な趣味について紹介しました。

当時すでに約9年間続けていたというので、長年の楽しみだったことがわかります。

手袋や靴、さまざまな小物が道端に落ちていると、誰がどんな理由でそこに落としたのかを想像するそうです。

普通なら通り過ぎてしまいそうな風景の中に、思いがけない物語を見つける。そんな観察力が、写真やスケッチへの興味にも重なっています。

2026年のインタビューでは、美術館で作品を見たり、本を読んだり、友人と食事をしたりする時間も、音楽のインスピレーションになると語りました。

日常の中で目にした美しいものや、誰かとの何気ない会話が、新しい音楽の種になる。ロンドンで積み重ねてきた生活経験が、創作の新しい材料になっています。

ちょっと豆知識⑨|コーチェラのダンサーの私服が本番の衣装に!

2022年のコーチェラで「Automatic」を披露する際、宇多田さんはリハーサルで私服のまま楽しそうに踊るダンサーたちの姿を気に入り、その自然な雰囲気を本番にも生かしたと語っています。完成されたステージにも、自由で自然体な表現を取り入れる感性が表れています。

そして、宇多田さんの音楽には、ニュージーランドとの接点もあります。

2019年1月に発売された「Face My Fears」は、ゲーム『KINGDOM HEARTS III』のオープニングテーマとして発表された楽曲です。

Skrillexとの共作でも話題となり、ニュージーランドのiTunes総合アルバムチャートとダンスアルバムチャートの両方で1位を獲得しました。

日本語と英語を自在に使い、さまざまなジャンルに挑戦してきた宇多田さん。その音楽がニュージーランドでも支持されたことは、当地から美容・健康情報をお届けするBrilliant Life Products NZにとっても、うれしいつながりです。

ニューヨーク、日本、ロンドン、そして世界各地のリスナーへ。宇多田さんが経験してきた多様な暮らしや文化は、国境を越えて届く音楽の魅力にもつながっています。

まとめ|宇多田ヒカルの美容・健康習慣から見えてくる、自分らしい生き方

宇多田ヒカルさんの美容法や健康習慣を振り返ると、シンプルなメイク、愛用ヘアケア用品、初めてのジェルネイル、好きな食べ物や飲み物、歌手としての身体管理、心のケアなど、さまざまなエピソードが見つかります。

15歳でデビューした頃から自分の好きなメイクや髪型を大切にし、10代から歌声や身体のコンディションと向き合ってきました。

19歳で療養を経験した際には、自分の暮らしや仕事との向き合い方を見つめ直す時間を持ちました。20代では料理や美容の新しい経験を楽しみながら、睡眠や体調の変化も経験しています。

30代からは精神分析を通じて自分の内面と向き合い、母親となったことで、睡眠や仕事の時間、暮らし方にも変化が生まれました。

43歳を迎えた2026年には、白髪や年齢を重ねることへの率直な思いを語り、健康で元気に暮らすことを大切にしたいという美容観を示しています。

納豆巻きの食べ方を真剣に研究したり、ホテルのシャンプーをボディーウォッシュと間違えたり、くまのぬいぐるみに合わせて髪を茶色くしたり。そんなユーモアと好奇心も、宇多田さんの大きな魅力です。

今では息子と絵を描いたり、日常の小さな風景から音楽のヒントを見つけたりしながら、ロンドンで自分らしい暮らしを築いています。

人生の変化に合わせて自分に合った暮らし方を見つけ、毎日の小さな出来事を楽しむ。宇多田ヒカルさんの生き方には、美容や健康を考えるうえでも、自分自身の感覚を大切にするヒントが詰まっています。

参考情報

  1. 宇多田ヒカル公式サイト「MESSAGE from Hikki」2006年5月 ― 愛用シャンプー・コンディショナー、ホテルのボディーケア、水、ブラックコーヒー、コーヒー牛乳
  2. 宇多田ヒカル公式サイト「MESSAGE from Hikki」2008年2月 ― 初めてのネイルサロン、ジェルネイル、美容に関する公式日記
  3. 宇多田ヒカル公式サイト「MESSAGE from Hikki」2006年6月 ― 納豆巻きへのこだわり、独自の食べ方、リハーサル中の食生活
  4. VOGUE JAPAN「自分を愛するってどうしたらいいの?」宇多田ヒカル インタビュー ― 精神分析、自己理解、人間活動、心のケア
  5. GQ JAPAN(2026年)「宇多田ヒカルは日常から創造する【インタビュー完全版】」 ― 子育て、生活リズム、趣味、絵画、建築、音楽への考え方
  6. radiko news(2026年)宇多田ヒカル「トレビアン・ボヘミアン スペシャル 2026」 ― ラジオ出演、年齢を重ねることへの考え方や子育ての話題
  7. ソニーミュージック(2019年)「Face My Fears」海外チャート実績 ― ニュージーランドのiTunes総合アルバム・ダンスアルバム両チャート1位

※本記事は公開情報や本人インタビューをもとに構成しています。紹介する習慣は取材当時の内容を含みます。

おすすめの商品

関連記事

ヘアケア完全ガイド|美しい髪を保つシャンプー・乾かし方・頭皮ケア・紫外線対策・生活習慣まで徹底解説

ヘアケア完全ガイド|美しい髪を保つシャンプー・乾かし方・頭皮ケア・紫外線対策・生活習慣まで徹底解説

美しい髪を保つためのヘアケア完全ガイド。シャンプーやコンディショナー、トリートメントの使い方、ドライヤー・ブラッシング・ヘアオイル、濡れた髪の扱い、紫外線・カラー・パーマ、髪質や年齢に合わせた頭皮と髪のケア、朝から夜までの生活習慣、食...
記事を読む →

最新記事